マーク・マルダー
マーク・アラン・マルダー(Mark Alan Mulder, 1977年8月5日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
セントルイス・カージナルスでの現役時代 (2008年6月15日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | イリノイ州サウスホーランド |
生年月日 | 1977年8月5日(47歳) |
身長 体重 |
6' 6" =約198.1 cm 215 lb =約97.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1998年 1巡目 |
初出場 | 2000年4月18日 |
最終出場 | 2008年7月9日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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獲得メダル | ||
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男子 野球 | ||
アメリカ合衆国 | ||
パンアメリカン競技大会 | ||
銀 | 1999 | 野球 |
オークランド・アスレチックス在籍時には、2000年からティム・ハドソン、バリー・ジトと共にエーストリオ "ビッグ3" を形成。以後4年で3人合わせて198勝(チーム勝利数の50.5%)を挙げ、チームは2003年まで4年連続ポストシーズン出場を果たした。
経歴
編集プロ入り前
編集高校時代は一塁手として打力が注目され、卒業時にはデトロイト・タイガースからドラフト55巡目(全体1456位)指名されたが、これを蹴ってミシガン州立大学へ進学。1997年、1998年と2年連続でチームのMVPに選出された[1]。
アスレチックス時代
編集1998年にドラフトでオークランド・アスレチックスから1巡目(全体2位)指名を受け入団。
1999年7月から8月に開催されたウィニペグパンアメリカン競技大会の野球アメリカ合衆国代表に選出された[2]。
2000年4月18日にメジャーデビューを果たし、9勝10敗と負け越したが、新人投手最多の27試合に先発登板した[3]。
2001年9月23日にシーズン20勝を達成した。ア・リーグの左投手が20勝以上をマークするのは1996年のアンディ・ペティット以来の快挙であった[4]。その後シーズン最後の登板となった10月4日に勝ち投手となり21勝を挙げ最多勝を獲得。サイ・ヤング賞の投票ではロジャー・クレメンスに次ぐ2位に入り、ティム・ハドソン、バリー・ジトと共にエーストリオ“ビッグ3”としてチームの4年連続(2000年 - 2003年)ポストシーズン進出の原動力となった。
2002年は4月12日から5月10日まで29日間故障者リスト入りとなったものの、19勝を記録した。
2003年はオールスターゲームに初めて選出されたが、8月19日の登板を最後にシーズンを終えた。26試合の登板で15勝をマークした。26試合以下の登板でマルダーより多い勝ち星を挙げたのは球団史上エディ・プランク(1906年に26試合で19勝)しかいない[5]。
カージナルス時代
編集2004年12月18日にダン・ヘイレンらとのトレードでセントルイス・カージナルスへ移籍[6]。1年契約(2006年の球団オプション付き)を結んだ。
2005年はチームに欠けていた左腕エースとしてチーム2位タイの16勝を挙げた。
2006年は終了時にFAとなるだけに期するものがあったはずだが、左肩を痛め不調。結局シーズン終了を待たずに手術に踏み切ることになり、9月12日に左肩の修復手術を行った[7]。この年は6勝にとどまり、メジャー2年目の2001年からの連続15勝以上が5年で途切れた。10月13日にFAとなった。
2007年1月10日にカージナルスと2年1300万ドル(2009年の球団オプション付き)で再契約[8][9]。手術の回復が思わしくなくマイナーで調整を重ねた。9月5日にメジャー復帰し3試合に登板したが、速球のスピードが140キロ以下に落ち、再び故障者リスト入りした。9月19日に再びMRI検査を行うことが発表され[10]、9月24日に左肩の関節鏡下手術を行った[11]。
2008年3月25日に再び故障者リスト入りした[12]。6月17日に復帰[13]。3試合に登板したが、7月10日に再び15日間の故障者リスト入りした。8月27日に再び左肩の手術を行い、60日間の故障者リストへ異動した。10月20日に球団が150万ドルの違約金を払い、1100万ドルのオプションを破棄しFAとなった[14]。
現役引退
編集2010年2月に引退説が流れたが、当初は否定[15]。2007年の手術以来肩のリハビリを続けてきたにもかかわらず球速が回復していないことを認め、今後に関しては明言を避けていたが[16]、6月15日に引退を表明[17]。2011年はESPNの野球中継で解説者を務めた。
現役復帰
編集2014年1月1日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約を結び[18]、スプリングトレーニングに参加することが決まった[19]。しかし、2月15日にアキレス腱を断裂し、手術が必要となったため、長期間の離脱を余儀なくされた[20]。3月11日に放出された[21]。
投球スタイル
編集長身から投げる91~95mph(約147~153km/h)のムービングファストボールにフォーシーム[22]、切れ味鋭いカーブ、スプリッターなど豊富な球種をテンポ良く投げ込み、ゴロで打たせて取る投球が持ち味。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2000 | OAK | 27 | 27 | 0 | 0 | 0 | 9 | 10 | 0 | 0 | .474 | 705 | 154.0 | 191 | 22 | 69 | 3 | 4 | 88 | 6 | 0 | 106 | 93 | 5.44 | 1.69 |
2001 | 34 | 34 | 6 | 4 | 3 | 21 | 8 | 0 | 0 | .724 | 927 | 229.1 | 214 | 16 | 51 | 4 | 5 | 153 | 4 | 0 | 92 | 88 | 3.45 | 1.16 | |
2002 | 30 | 30 | 2 | 1 | 0 | 19 | 7 | 0 | 0 | .731 | 862 | 207.1 | 182 | 21 | 55 | 3 | 11 | 159 | 7 | 1 | 88 | 80 | 3.47 | 1.14 | |
2003 | 26 | 26 | 9 | 2 | 2 | 15 | 9 | 0 | 0 | .625 | 747 | 186.2 | 180 | 15 | 40 | 2 | 2 | 128 | 7 | 0 | 66 | 65 | 3.13 | 1.18 | |
2004 | 33 | 33 | 5 | 1 | 0 | 17 | 8 | 0 | 0 | .680 | 952 | 225.2 | 223 | 25 | 83 | 1 | 12 | 140 | 10 | 0 | 119 | 111 | 4.43 | 1.36 | |
2005 | STL | 32 | 32 | 3 | 2 | 2 | 16 | 8 | 0 | 0 | .667 | 868 | 205.0 | 212 | 19 | 70 | 1 | 9 | 111 | 9 | 0 | 90 | 83 | 3.64 | 1.38 |
2006 | 17 | 17 | 0 | 0 | 0 | 6 | 7 | 0 | 0 | .462 | 430 | 93.1 | 124 | 19 | 35 | 1 | 5 | 50 | 3 | 0 | 77 | 74 | 7.14 | 1.70 | |
2007 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 59 | 11.0 | 22 | 4 | 7 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 17 | 15 | 12.27 | 2.64 | |
2008 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 12 | 1.2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 2 | 2 | 10.80 | 3.60 | |
通算:8年 | 205 | 203 | 25 | 10 | 7 | 103 | 60 | 0 | 0 | .632 | 5562 | 1314.0 | 1352 | 141 | 412 | 15 | 50 | 834 | 47 | 1 | 657 | 611 | 4.18 | 1.34 |
- 2008年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
編集- 最多勝利:1回(2001年)
記録
編集- MLBオールスターゲーム選出:2回(2003年、2004年)
背番号
編集- 20(2000年 - 2004年)
- 30(2005年 - 2008年)
代表歴
編集- 1999年パンアメリカン競技大会野球アメリカ合衆国代表
脚注
編集- ^ “Mark Mulder Biography” (英語). 2008年4月3日閲覧。
- ^ 1999 Pan American Team Roster USABaseball.com: The Official Site of USA Baseball (2011年5月18日) 2017年7月3日閲覧
- ^ “Mark Mulder 2000 Career Highlights” (英語). 2008年4月3日閲覧。
- ^ “Mark Mulder 2001 Career Highlights” (英語). 2008年4月3日閲覧。
- ^ “Mark Mulder 2003 Career Highlights” (英語). 2008年4月3日閲覧。
- ^ “Cards acquire All-Star pitcher Mark Mulder”. MLB.com Cardinals Press Release (December 18, 2004). January 15, 2014閲覧。
- ^ “Mulder has surgery; no timetable set for return”. ESPN MLB (September 13, 2007). January 15, 2014閲覧。
- ^ “Cards and lefty Mark Mulder agree to new deal”. MLB.com Cardinals Press Release (January 10, 2007). January 15, 2014閲覧。
- ^ “Mulder to return to Cardinals”. ESPN MLB (January 10, 2007). January 15, 2014閲覧。
- ^ “Cards' statement on Mulder testing”. MLB.com Cardinals Press Release (September 19, 2007). January 15, 2014閲覧。
- ^ “Medical statement”. MLB.com Cardinals Press Release (September 24, 2007). January 15, 2014閲覧。
- ^ “Cardinals disable seven players”. MLB.com Cardinals Press Release (March 25, 2008). January 15, 2014閲覧。
- ^ “Cardinals activate Mark Mulder from disabled list”. MLB.com Cardinals Press Release (June 27, 2008). January 15, 2014閲覧。
- ^ “Cardinals to let Mulder walk after two injury-plagued seasons”. ESPN MLB (October 21, 2008). January 15, 2014閲覧。
- ^ “Mark Mulder denies he's retiring; says he halted throwing program”. 2010年3月22日閲覧。
- ^ “Mulder deserves better”. 2010年3月22日閲覧。
- ^ Mark Mulder Says He's Retired; Now Playing Competitive Golf
- ^ Jerry Crasnick (January 1, 2014). “Mark Mulder gets minor league deal”. ESPN LA. January 15, 2014閲覧。
- ^ Cash Kruth (January 14, 2014). “Mulder, top prospects invited to Spring Training”. MLB.com. January 15, 2014閲覧。
- ^ Alden Gonzalez (February 15, 2014). “Mulder ruptures Achilles during workout, needs surgery”. MLB.com. February 16, 2014閲覧。
- ^ Alden Gonzalez (March 11, 2014). “Mulder, released by Halos, not giving up yet”. MLB.com. March 12, 2014閲覧。
- ^ A`s復調を支える左腕『月刊スラッガー』2001年11月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-11、32-33頁。