マーク・ジャクソン

アメリカのバスケットボール選手、ヘッドコーチ (1965 - )

マーク・A・ジャクソンMark A. Jackson, 1965年4月1日 - )はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手。ニューヨーク市ブルックリン区出身。NBAニューヨーク・ニックスインディアナ・ペイサーズなど7チームでプレイした。ポジションはポイントガード。2011年から2014年までゴールデンステート・ウォリアーズヘッドコーチを務めた。

マーク・ジャクソン
Mark Jackson
ゴールデンステート・ウォリアーズHC時代のジャクソン
(2012年)
引退
ポジション PG
役職 ESPN解説者
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1965-04-01) 1965年4月1日(59歳)
出身地 ニューヨーク州ニューヨーク市
ブルックリン区
身長(現役時) 191cm (6 ft 3 in)
体重(現役時) 84kg (185 lb)
キャリア情報
出身 セント・ジョーンズ大学
NBAドラフト 1987年 / 1巡目 / 全体18位[1]
選手経歴
1987-1992
1992-1994
1994-1996
1996-1997
1997-2000
2000-2001
2001-2002
2002-2003
2003-2004
ニューヨーク・ニックス
ロサンゼルス・クリッパーズ
インディアナ・ペイサーズ
デンバー・ナゲッツ
インディアナ・ペイサーズ
トロント・ラプターズ
ニューヨーク・ニックス
ユタ・ジャズ
ヒューストン・ロケッツ
指導者経歴
2011-2014 ゴールデンステート・ウォリアーズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

経歴

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1987年セント・ジョーンズ大学を卒業し、ドラフト1巡目18位でニューヨーク・ニックスに指名されNBA入りした。ルーキーシーズンは平均13.6得点、4.8リバウンド、10.6アシスト、2.5スティールと活躍し、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)を受賞。新人王を受賞した歴代のNBA選手の中で最も指名順位が低い選手だった。2年目にはキャリア唯一のオールスターに出場した。ニックスでは、パトリック・ユーイングらとプレイし、カンファレンスセミファイナルまで進んだ。

1992年には、3チーム間のトレードでロサンゼルス・クリッパーズへ移籍した。クリッパーズには2シーズン在籍し、ダニー・マニングロン・ハーパーらと共に、1年目はプレイオフに出場した。 1994年には、マリック・シーリーエリック・パイカウスキーらとの交換で、インディアナ・ペイサーズへ移籍した。1996年に、一旦デンバー・ナゲッツに放出されるが、再びトレードでペイサーズに復帰した。2000年には、ペイサーズのNBAファイナル進出に貢献した。

2000-01シーズン前、フリーエージェントとなったジャクソンは、トロント・ラプターズと契約した。しかし、シーズン途中にまたもやトレード、古巣のニューヨーク・ニックスで2シーズンプレイすることとなった。 2002年には、ユタ・ジャズと契約し、アシスト数歴代1位のジョン・ストックトンと2位のジャクソンが同じチームに在籍することになる。ジャズ時代に1万アシストを達成。

2003-04シーズンはABAのラスヴェガス・ラットラーズ、ヒューストン・ロケッツに所属した後、引退した。引退後はニュージャージー・ネッツの解説者として活躍し、2011年、コーチ経験はなかったが、ゴールデンステート・ウォリアーズのヘッドコーチに就任した。2013年、2014年と2シーズン続けてプレーオフに進出したが、2014年1stラウンド敗退後に解任された。

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ
  リーグリーダー

レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1987–88 NYK 82 80 39.6 .432 .254 .774 4.8 10.6 2.5 .1 13.6
1988–89 72 72 34.4 .467 .338 .698 4.7 8.6 1.9 .1 16.9
1989–90 82 69 29.6 .437 .267 .727 3.9 7.4 1.3 .0 9.9
1990–91 72 21 22.2 .492 .255 .731 2.7 6.3 .8 .1 8.8
1991–92 81 81 30.4 .491 .256 .770 3.8 8.6 1.4 .2 11.3
1992–93 LAC 82 81 38.0 .486 .268 .803 4.7 8.8 1.7 .1 14.4
1993–94 79 79 34.3 .452 .283 .791 4.4 8.6 1.5 .1 10.9
1994–95 IND 82* 67 29.3 .422 .310 .778 3.7 7.5 1.3 .2 7.6
1995–96 81 81 32.6 .473 .430 .785 3.8 7.8 1.2 .1 10.0
1996–97 DEN 52 52 38.5 .425 .397 .801 5.2 12.3 1.0 .2 10.4
IND 30 30 35.1 .427 .316 .766 4.1 9.8 1.5 .1 9.0
1996-97計 82 82 37.2 .426 .371 .789 4.8 11.4* 1.2 .1 9.9
1997–98 82* 82* 29.4 .416 .314 .761 3.9 8.7 1.0 .0 8.3
1998–99 49 49 28.2 .419 .311 .823 3.8 7.9 .9 .1 7.6
1999-00 81 81 27.0 .432 .403 .806 3.7 8.0 .9 .1 8.1
2000–01 TOR 54 54 33.4 .422 .345 .842 3.4 9.2 1.2 .1 8.5
NYK 29 28 27.1 .411 .310 .529 4.1 5.6 .7 .0 5.9
2000-01計 83* 82* 31.2 .419 .338 .785 3.7 8.0 1.0 .1 7.6
2001–02 82 81 28.9 .439 .405 .791 3.8 7.4 .9 .0 8.4
2002–03 UTA 82 0 17.9 .398 .284 .763 2.1 4.6 .6 .0 4.7
2003–04 HOU 42 3 13.7 .340 .171 .718 1.7 2.8 .4 .0 2.5
通算 1,296 1,091 30.2 .447 .332 .770 3.8 8.0 1.2 .1 9.6
オールスター 1 0 16.0 .600 1.000 .500 2.0 4.0 1.0 1.0 9.0

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1988 NYK 4 4 42.8 .367 .417 .727 4.8 9.8 2.5 .0 14.3
1989 9 9 37.3 .510 .393 .679 3.4 10.1 1.1 .3 14.7
1990 9 0 9.0 .419 .000 .727 .6 2.3 .2 .0 3.8
1991 3 0 12.0 .333 --- --- .0 2.7 .3 .3 .7
1992 12 12 30.7 .402 .190 .815 2.3 7.2 .8 .0 8.3
1993 LAC 5 5 37.6 .438 .500 .864 5.8 7.6 1.6 .2 15.2
1995 IND 17 17 32.5 .454 .400 .739 5.2 7.1 .8 .0 9.9
1996 5 5 37.2 .353 .222 .765 5.0 6.0 1.2 .0 10.6
1998 16 16 30.9 .417 .378 .794 4.6 8.3 1.4 .0 9.2
1999 13 13 34.7 .495 .412 .714 4.5 8.6 1.1 .1 11.2
2000 23 23 27.6 .392 .313 .903 3.7 7.7 .8 .1 8.1
2001 NYK 5 5 31.2 .500 .250 1.000 5.2 5.2 1.6 .0 9.0
2003 UTA 5 0 16.6 .500 .556 1.000 1.0 3.2 .6 .0 7.2
2004 HOU 5 0 7.6 .167 .000 --- .6 1.0 .4 .0 .4
通算 131 109 28.8 .432 .345 .777 3.6 6.9 1.0 .1 9.0

プレイスタイル

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ポイントガードでありながら、ジャンプシュートはあまり得意ではなく、体の幅を生かしたポストプレイからフックシュート、あるいはパスアウトで味方を生かすことを得意としていた。 リーダーシップがありゲームメイクも上手い、パス優先型のガードとして長年活躍し、アシスト数は歴代6位まで達し10,334アシストを記録した。

通算成績

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  • 得点:12,489 (9.6 ppg)、アシスト:10,334 (8.0 apg)、スティール:1,608 (1.2 spg)

その他

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  • 子供の頃は、アール・モンローに憧れていた。
  • 熱心なクリスチャンであり、キャリア後期には得点を入れた後、十字架をイメージしたポーズを取っていた。
  • シュートを決めた後、踊るようなパフォーマンスを見せ、「アクション・ジャクソン」「ジャクソン・ジグル」と呼ばれていた。
  • レジー・ミラーとは親友である。
  • フープスというブランドが提供していた1990年-1991年版の自身のNBAカードには、メネンデス兄弟事件英語版の容疑者2人がコートサイドに写っている。事件発生から約30年後にカードコレクターが偶々気付いてSNSに投稿し、全米が騒然とした。

外部リンク

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