マンタイ・レーシングManthey-Racing)は、ドイツのレーシングチーム。主な実績として2006年から2009年までニュルブルクリンク24時間レースを4連覇し、2011年にも優勝して通算5度の優勝を果たしていることが挙げられる。マンタイ・レーシングが直接運用するポルシェは、蛍光グリーンと蛍光イエローのカラーリングをしており、グレロ(Grello)の愛称で親しまれている。

マンタイ・レーシング
国籍 ドイツの旗 ドイツ
チーム代表 オラフ・マンタイ、ニコラス・レーダー、マーティン・レーダー
活動期間 1996年 - 現在
公式サイト Manthey-Racing
テンプレートを表示

概要

編集
 
マンタイ・モーターズ」によるポルシェ・GT3のチューニングと修復

1996年、オラフ・マンタイポルシェのレースカーを専門にチューンしてレース参戦する「マンタイ・レーシング有限会社(GmbH)」をラインラント=プファルツ州ラインブライトバッハの地で起業した。1997年以降、マンタイ・レーシングはロードカーを個々の顧客の要望に合わせたチューンドカーのチューニングと修復を行なっている。やがて事業が成長するに従ってチームも広い用地が必要となり、ニュルブルクリンクの北コース(Nordschleife、ノルトシュライフェ)に程近い工業地域のモイシュパトに本拠地を移した。2012年12月、オラフ・マンタイ、ニコラスとマーティンのレーダー兄弟は2013年1月にマンタイ・レーシングとレーダー・オートモーティブが合併し、マンタイ・レーシングが存続会社になる旨を発表した。2013年末以降、マンタイ・レーシング有限会社は、「マンタイ・レーシング」、「マンタイ・モーターズ」、「マンタイ・TZN」、「レーダー・モータースポーツ」の4つの部門で構成されている。

2013年12月17日、ポルシェとマンタイ・レーシングは、ポルシェがマンタイ・レーシングの株式の過半数となる51%の株式を取得したことを発表した[1][2]

モータースポーツ活動

編集

ポルシェ・スーパーカップ

編集

マンタイ・レーシングは、1996年の設立後に早速ポルシェ・カレラカップの国際シリーズであるポルシェ・スーパーカップに参戦して、モータースポーツ活動を開始した。1990年代後半のポルシェ・スーパーカップにおけるマンタイ・レーシングの活躍は、ドライバーズとチームのダブルタイトルを獲得するなど、大変輝かしいものであった。

新しいポルシェのレースカーによる挑戦

編集

1999年、マンタイ・レーシングとアメリカのレーシングチームであるチャンピオン・レーシングは、新しい水冷エンジンで開発されたポルシェのレースカーであるポルシェ・911 GT3-Rを使用して初めてル・マン24時間レースのGTクラスに参戦するプライベートチームに選ばれた。GT3-Rと共に出走する(旧来の空冷エンジンを用いた)2台のポルシェ・911 RSRがエントリーしたGTクラスは、今回のル・マン24時間レースで最も下のカテゴリーに相当する。マンタイ・レーシングで出場するドライバーはウーヴェ・アルツェンパトリック・ヒュイスマンルカ・リッチテリの3名で総合順位13位でクラス優勝を果たした。一方、チャンピオン・レーシングはディルク・ミューラーボブ・ウォレクベルント・マイレンダーの3名で総合順位19位でクラス2位に入っている。

2006年、マンタイ・レーシングは新型の2台のポルシェ・911 GT3 RSRスパ・フランコルシャン24時間レースに参戦した。G2クラスで参戦し、クラス内順位で1位2位の順位を占めた。先着したルーカス・ルーアサッシャ・マーセンマルセル・ティーマンの3名らは総合順位14位、ティモ・ベルンハルトマルク・リープペドロ・ラミーの3名らは総合順位15位に入っている。

 
2002年DTMザクセンリンク・ラウンドでメルセデス・CLKを駆るベルント・マイレンダー

2001年、DTMに2台の新しいメルセデス・ベンツ・CLKで参戦した。パトリック・ハイスマンとベルント・マイレンダーがレギュラードライバーで、マイレンダーが欠場したレースについてはマルセル・ティーマンが代替ドライバーとして出場する体制であった。最終ラウンドのホッケンハイムでハイスマンとマイレンダーが第1ステージと第2ステージをそれぞれ優勝し、DTMでの初優勝を挙げた。参戦1年目はチームランキング3位の成績であった。2002年シーズン、新型のメルセデス・CLKの車両はHWAチームが独占的に供給され、マンタイ・レーシングは古い昨シーズンモデルで戦わなければならなかった。新開発のメルセデス・CLKが使用できない以上、もはや非メルセデスメーカーのレースカーであるアウディ・TTオペル・アストラ クーペにも太刀打ちできず、1ポイントも勝ち点を獲得できないという絶望的な状況となった。その為わずか2シーズンでチームはDTMを撤退しなければならなかった。

ニュルブルクリンクでの勝利と栄光

編集
 
2007年ニュルブルクリンク24時間レースで走るマンタイ・レーシングのポルシェ・911 GT3 RSR
 
2012年のVLN(ニュルブルクリンク耐久シリーズ)で、ニュルブルクリンクの北コース(Nordschleife、ノルトシュライフェ)を走行する ノルトシュライフェ-デザインポルシェ・911 GT3 R

マンタイ・レーシングは、ニュルブルクリンク24時間レースとVLN(ニュルブルクリンク耐久シリーズ)にポルシェのレースカーによるレース活動を集中させることになった。ポルシェ・911 GT3 RSをベースにマンタイ・レーシングが開発したポルシェ・911 GT3-MRをルーカス・ルーア、ティモ・ベルンハルト、マイク・ロッケンフェラー、マルセル・ティーマンらのドライブで2006年にニュルブルクリンク24時間レースを初制覇した。その後、2009年まで前人未踏のニュルブルクリンク24時間レース4連覇を果たし、2011年にも優勝した。

ニュルブルクリンク最速ラップの樹立

編集

2018年11月2日にポルシェと共同開発した911GT2RS MRが、ニュルブルクリンク・ノルドシェライフェ(北コース)の量産車最速ラップを記録している。1周20.6kmのコースを走るのに要したタイムは6分40秒33でランボルギーニが同年の8月23日に発表したランボルギーニ・アヴェンタドールSVJの持つ当時の最速ラップ、6分44秒97を約5秒上回った[3]

主なレースの結果

編集
  • 1996年: ポルシェ・スーパーカップ チームランキング4位
  • 1997年: ポルシェ・スーパーカップ ドライバーズランキング1位と2位 チームランキング1位
  • 1997年: ポルシェ・スーパーカップ チームランキング1位
  • 1998年: ポルシェ・スーパーカップ ドライバーズランキング1位と2位
  • 1998年: ポルシェ・スーパーカップ チームランキング1位
  • 1999年: ル・マン24時間レースGTクラス優勝、ポルシェ・911 GT3-R
  • 1999年: ポルシェ・スーパーカップ ドライバーズランキング1位
  • 1999年: ポルシェ・スーパーカップ チームランキング1位
  • 2000年: ポルシェ・スーパーカップ ドライバーズランキング1位
  • 2000年: ポルシェ・スーパーカップ チームランキング1位
  • 2001年: DTMチームランキング3位、メルセデス
  • 2001年: ポルシェ・スーパーカップ チームランキング3位
  • 2002年: ポルシェ・スーパーカップ チームランキング4位
  • 2003年: ニュルブルクリンク24時間レース3位
  • 2004年: ニュルブルクリンク24時間レース3位
  • 2005年: ニュルブルクリンク24時間レース9位
  • 2006年: ニュルブルクリンク24時間レース優勝
  • 2007年: ニュルブルクリンク24時間レース優勝
  • 2008年: ニュルブルクリンク24時間レース優勝と2位
  • 2009年: ニュルブルクリンク24時間レース優勝と3位
  • 2011年: ニュルブルクリンク24時間レース優勝
  • 2012年: VLN(ニュルブルクリンク耐久シリーズ)第2戦優勝
  • 2012年: VLN第3戦優勝
  • 2018年:ニュルブルクリンク24時間レース優勝と18位
  • 2021年:ニュルブルクリンク24時間レース優勝

脚注

編集
  1. ^ Porsche erwirbt Mehrheitsbeteiligung an Manthey-Racing GmbH, Pressemeldung vom 17. Dezember 2013.
  2. ^ Ikenouchi, Midori (2013年12月17日). “マンタイ、株式の51%をポルシェに売却”. Autosport.com. 2016年1月20日閲覧。
  3. ^ ポルシェがついに本気を出した! 911 GT2 RS MR、ニュル最速の称号を獲得”. kurukura.jp. 2022年1月30日閲覧。

関連項目

編集

外部リンク

編集