マリー1世 (オーヴェルニュ女伯)
マリー1世(Marie Ire d'Auvergne, 1376年 - 1437年8月7日)は、フランスの貴族女性。オーヴェルニュ家出身としては最後のオーヴェルニュ女伯およびブローニュ女伯(1424年 - 1437年)。ブローニュ女伯としては「マリー2世(Marie II de Boulogne)」と数えられる。
マリー1世(2世)・ドーヴェルニュ Marie I (II) d'Auvergne | |
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オーヴェルニュ女伯(1世) ブローニュ女伯(2世) | |
在位 | 1424年 - 1437年 |
出生 |
1376年 |
死去 |
1437年8月7日 |
配偶者 | ラ・トゥール領主ベルトラン4世 |
子女 |
ベルトラン5世 ジャンヌ イザベル ルイーズ |
家名 | オーヴェルニュ家 |
父親 | モンガスコン領主ゴドフロワ・ドーヴェルニュ |
母親 | ジャンヌ・ド・ヴァンタドゥール |
生涯
編集オーヴェルニュ伯ロベール7世の四男であるモンガスコン領主ゴドフロワ(1385年没)と、その2番目の妻ジャンヌ・ド・ヴァンタドゥール(Jeanne de Ventadour)の間の一人娘として生まれた。母はマリーの誕生直後に死去し、父は3番目の妻を迎えてさらに娘を2人もうけるが、男子を授からなかった。このためマリーがモンガスコンの女領主となった。1389年1月11日にラ・トゥール領主ベルトラン4世(1423年没)と結婚し、間に1男3女の計4人の子女をもうけた[1]。
- ベルトラン5世(1461年没) - オーヴェルニュ伯
- ジャンヌ(1426年以前) - 1409年、オーヴェルニュのドーファン・ベロー3世と結婚
- イザベル(生没年不明) - 1419年、ポリニャック子爵ルイ・アルマン・ド・シャランコンと結婚
- ルイーズ(1472年没) - 1433年、クーシュ領主クロード・ド・モンタギュー(カペー=ブルゴーニュ家の末裔)と結婚
1424年、同族の従姪にあたるオーヴェルニュ女伯ジャンヌ2世が子供のないまま死ぬと、オーヴェルニュとブローニュの相続を認められた。1437年に死去すると2つの伯爵領は息子のベルトラン5世が相続した。マリーの子孫は家系の絶えたオーヴェルニュ家の正統な相続人であることを示すため、ラ・トゥール・ドーヴェルニュ家の複合姓を名乗った。
脚注
編集- ^ Miroslav Marek (4 January 2005). “Bertrand IV, sn de La Tour(de La Tour2)”. genealogy.euweb.. 2012年10月20日閲覧。
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