マリー・ド・ブラバン
マリー・ド・ブラバン(Marie de Brabant, 1254年5月13日 - 1321年1月10日)は、フランス王フィリップ3世の2番目の王妃。父はブラバント公アンリ3世、母はブルゴーニュ公ユーグ4世の娘アデライード。
マリー・ド・ブラバン Marie de Brabant | |
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フランス王妃 | |
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在位 | 1274年8月21日 - 1285年10月5日 |
戴冠式 | 1275年6月24日 |
出生 |
1254年5月13日 ブラバント公領、ルーヴェン |
死去 |
1321年1月10日(66歳没) フランス王国、レ・ミュロー |
埋葬 | フランス王国、コルドリエ修道院 |
結婚 | 1274年8月21日 |
配偶者 | フランス王フィリップ3世 |
子女 |
ルイ ブランシュ マルグリット |
家名 | ブラバント家 |
父親 | ブラバント公アンリ3世 |
母親 | アデライード・ド・ブルゴーニュ |
生涯
編集1274年8月21日、最初の王妃イザベル・ダラゴンと4年前に死別したフィリップ3世と結婚した。その際に、父方のブラバント家、母方のブルゴーニュ家の関係者が従い、宮廷内で派閥を形成し、王の寵臣であったピエール・ド・ラ・ブロスと対立した。最終的にピエール・ド・ラ・ブロスは王妃派により逮捕、処刑された[1]。
フィリップ3世との間には1男2女が生まれた。
- ルイ(1276年 - 1319年) エヴルー伯。エヴルー家の祖。
- ブランシュ(1278年 - 1305年) オーストリア公ルドルフ3世と結婚
- マルグリット(1282年 - 1317年) イングランド王エドワード1世の2番目の王妃。
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マリー・ド・ブラバンの戴冠
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マリー・ド・ブラバンの戴冠
脚注
編集- ^ 佐藤、p. 194
参考文献
編集- 佐藤賢一 『カペー朝 フランス王朝史1』 講談社現代新書、2009年