マリア・デ・ナバラ
マリア・デ・ナバラ(María de Navarra, 1329年 - 1347年4月29日)は、アラゴン王ペドロ4世の最初の王妃。ナバラ女王フアナ2世(ジャンヌ、フランス王ルイ10世の娘)とその共同統治者フェリペ3世(フィリップ・デヴルー)の長女。フランス名はマリー・ド・ナヴァール(Marie de Navarre)またはマリー・デヴルー(Marie d'Évreux)。
マリア・デ・ナバラ María de Navarra | |
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アラゴン王妃 | |
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在位 | 1338年 - 1347年 |
出生 |
1329年 フランス王国 |
死去 |
1347年4月29日 アラゴン連合王国、バレンシア王国、バレンシア |
埋葬 | アラゴン連合王国、カタルーニャ君主国、ポブレー修道院 |
結婚 | 1338年7月25日 |
配偶者 | アラゴン王ペドロ4世 |
子女 |
コンスタンサ フアナ マリア ペドロ |
家名 | エヴルー家 |
父親 | ナバラ王フェリペ3世 |
母親 | ナバラ女王フアナ2世 |
宗教 | ローマ・カトリック |
1338年にペドロ4世と結婚した。ペドロはすでに即位していたが、この年にはまだ17歳であり、マリアは9歳である。5年後の1343年から1347年までにマリアは1男3女を生んだ。
マリアは末子ペドロを生んだ際に18歳で死去した。その後、ペドロ4世は3度再婚した。