マリア・インマクラータ・フォン・エスターライヒ=トスカーナ (1878-1968)
ハプスブルク=トスカーナ家の大公女
マリア・インマクラータ・フォン・エスターライヒ=トスカーナ(Maria Immakulata Erzherzogin von Österreich-Toskana, 1878年9月3日 - 1968年11月25日)は、オーストリア=ハンガリー(二重帝国)の帝室の成員で、イタリア・トスカーナ大公国の旧統治者ハプスブルク=トスカーナ家の大公女。
マリア・インマクラータ Maria Immakulata | |
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ハプスブルク=トスカーナ家 | |
マリア・インマクラータ(1910年) | |
出生 |
1878年9月3日 オーストリア=ハンガリー帝国 バーデン・バイ・ウィーン |
死去 |
1968年11月25日(90歳没) 西ドイツ アルツハウゼン・アルツハウゼン城 |
配偶者 | ヴュルテンベルク公ローベルト |
父親 | カール・ザルヴァトール大公 |
母親 | マリア・インマクラータ・フォン・ネアペル=ジツィリエン |
全名はマリア・インマクラータ・ライネーラ・ヨーゼファ・フェルディナンデ・テレジア・レオポルディーネ・アントイネッテ・ヘンリエッテ・フランツィスカ・カロリーネ・アロイジア・ヤヌアリア・クリスティーネ・フィロメーナ・ロザリア(Maria Immakulata Rainera Josepha Ferdinande Theresia Leopoldine Antoinette Henriette Franziska Karoline Aloysia Januaria Christine Philomena Rosalia Erzherzogin von Österreich-Toskana)。
最後のトスカーナ大公フェルディナンド4世の弟カール・ザルヴァトールと、その妻で両シチリア王フェルディナンド2世の娘であるマリーア・インマコラータの間の第7子、四女として生まれた[1][2]。1900年10月29日にウィーンにおいて、ヴュルテンベルク公ローベルトと結婚した。夫妻の間に子供はなかった。
脚注
編集- ^ Darryl Lundy (10 May 2003). “Maria Immakulata Raineria Erzherzogin von Österreich”. thePeerage.com. 2009年5月25日閲覧。
- ^ Paul Theroff. “TUSCANY”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2008年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月25日閲覧。