マリアンネ・コッホ
マリアンネ・コッホ(Marianne Koch、1931年8月19日 - )は、ドイツの元女優、医師、医学博士。マリアンヌ・クック(Marianne Cook)の名でも出演している。1950年代から1960年代にかけて、西ドイツを代表する映画俳優として高い知名度を誇った。1970年代以降は俳優業から引退し、医師として活躍した。
マリアンネ・コッホ Marianne Koch | |
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本名 | Marianne Elisabeth Koch |
別名義 |
マリアンヌ・クック Marianne Cook |
生年月日 | 1931年8月19日(93歳) |
出生地 | ドイツ国ミュンヘン |
国籍 | ドイツ |
職業 |
女優 医師 |
活動期間 | 1950年 - 1971年 |
主な作品 | |
映画 『撃墜王 アフリカの星』 『荒野の用心棒』 | |
受賞 | |
ドイツ映画賞銀賞(1955年) |
経歴
編集マリアンネ・コッホは1931年8月19日に、西ドイツのミュンヘンで生まれた。当初は医学の道を志したものの、俳優としてのキャリアがスタートしたために勉強を中断せざるを得なかったという。1950年に公開された『Der Mann, der zweimal leben wollte』(日本未公開)が、彼女の映画初出演作である。
コッホは1955年の『悪魔の将軍』でドイツ映画賞の銀賞を獲得し、俳優としての評価を確立させた。西ドイツのみならず国際的に活躍し、1954年の『夜の人々』ではグレゴリー・ペックと、1964年の『荒野の用心棒』ではクリント・イーストウッドと共演を果たしている。それらの俳優業の傍ら、西ドイツの人気クイズ番組『Was bin ich?』のレギュラーとして出演し、人気を集めた。
コッホは1971年に俳優業から引退し、医学の勉強を再開。1974年には医学博士号を取得した。それ以降は故郷ミュンヘンで医師としての活動を続けながら、テレビやラジオの健康番組のホステスとして活躍した。また、健康について述べた一般人向けの著書も数冊出版している。
主な出演作品
編集- 『夜の人々』 - Night People (1954年)
- 『ルートヴィヒ2世 - ある王の栄光と没落』[1] - Ludwig II. – Glanz und Elend eines Königs (1955年)
- 『悪魔の将軍』[2] - Des Teufels General (1955年)
- 『命ある限り』 - Solange du lebst (1955年)
- 『撃墜王 アフリカの星』 - Der Stern von Afrika (1957年) - ※日本でDVD発売
- 『間奏曲』 - Interlude (1957年)
- 『パリの狐』 - Der Fuchs von Paris (1957年)
- 『猟奇美女連続殺人』 - Das Ungeheuer von London City (1964年)
- 『荒野の用心棒』 - Per un pugno di dollari (1964年) - ※日本でDVD発売
著書
編集- 『アンチエイジングのまじめな話』(マリアンネ・コッホ著、古川まり訳、オープンナレッジ、2008年) ISBN 978-4-902444-64-3
脚注
編集- ^ 2007年3月、東京のアテネ・フランセ文化センターで「ヘルムート・コイトナー(Helmut Käutner)監督特集」が開催され、その中で日本語字幕付きでDVD上映された。
アテネ・フランセ 2007年1月・2月・3月上映スケジュール - ^ 1.と同じ「ヘルムート・コイトナー監督特集」の中で日本語字幕付きでDVD上映された。
外部リンク
編集- マリアンネ・コッホ写真集 (Bilder zum Starの項目、拡大可能)
- Marianne Koch - IMDb