マフムード (モグーリスタン)
マフムード(Mahmud、生年不明 - 1508年[1])は、モグーリスタン・ハン国の第14代ハン。
概要
編集モグーリスタン・ハン国第13代ハンのユーヌスの子供[1]。1487年にユーヌスが死去[1]。マフムードはタシュケントとモグーリスタン西部(今のキルギスタン)を継承したが、モグーリスタン東部(今の中国西北部新疆ウイグル自治区)は兄のアフマド・アラクがすでに継承、支配していた。これにより、モグーリスタン・ハン国は東西に分裂することとなった[1]。
数年前にユーヌスによって征服されたサマルカンドのティムール朝・スルタン・アフマド、フェルガナのオマル・シャイフ(Omar Shaikh)が反攻、タシュケントを攻撃するが、マフムードは首尾よくこれを阻止。この際にスルタン・アフマド配下のウズベクのムハンマド・シャイバーニー・ハンを味方に引き入れた。ムハンマド・シャイバーニーへの恩賞として、マフムードは1488年にロシアのトルキスタン(「ウズベキスタン」と名付けられ、最終的にその名前で現在の国に発展した)に土地を与えた。しかし、このことが、モグーリスタン・ハン国とは伝統的に友好関係にあったが、ウズベク人と敵対関係にあったカザフ人の反感を買い、モグーリスタン・ハン国とカザフの戦争に発展、マフムードは敗北することとなった。1508年死去、モグーリスタン・ハン国は領土の大部分をカザフほかに占領され、ここに滅亡することとなった[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 丸山鋼二「新疆におけるイスラム教の定着 : 東チャガタイ汗国 : 新疆イスラム教小史 3」『文教大学国際学部紀要』第20巻第1号、文教大学、2009年7月1日、147-160頁、ISSN 0917-3072、NAID 110007198559、NII:1351/00003644、2022年3月22日閲覧。
|
|
|