マドレーヌ

フランス発祥の焼き菓子

マドレーヌ: madeleine)とは、フランス発祥の焼き菓子のひとつである。

マドレーヌ(貝殻型)
マドレーヌ(円形型)

無塩バター、バターと同量の小麦粉砂糖ベーキングパウダー、好みによりアーモンドパウダー、香料(バニラエッセンスなど)やブランデーを入れて良く混ぜ合わせオーブンで焼き上げる。あらかじめバターを塗って粉を振った貝殻型の焼き型の上に生地を載せて焼くことが多い。まれに円形のものもある。

発祥

編集

1755年、ロレーヌ公スタニスラスに仕えていた召使マドレーヌ・ポルミエが、ありあわせの材料と厨房にあったホタテ貝殻を使って祖母から教わったビスキュイのような菓子を作ったことが由来とされている[1]。マドレーヌの最初の文献記録は、1755年に出版された『Les soupers de la Cour:宮廷のスぺ』であり、これを著したムノンはロレーヌ公スタニスラスの娘で、ルイ15世の正妃だったマリー・レクザンスカの料理人として仕えていた人物である。その後、マドレーヌはコメルシーの名産品となり、鉄道の開通と共にコメルシー駅のプラットフォームで販売され、鉄道によってパリに持ち込まれて有名な菓子となった。

日本の平たい菊型のマドレーヌの由来は、パン・ド・ジェーヌ(en)というお菓子が日本に伝わった際、マドレーヌと混同され、その型がマドレーヌの型として使われたことによるとされている[2]。フランス本来の平たい貝殻型のマドレーヌは、コメルシーで作られていたマドレーヌが一般的になり広まったからであり、それ以前のマドレーヌはぼってりとした丸みを帯びた貝型だった。プルーストが『失われた時を求めて』で言及したマドレーヌは、そうしたかたちのものであり、プルーストはコメルシー由来のマドレーヌではないことをここで暗に示唆している。

貝殻型のマドレーヌは日本では1960年(昭和35年)に東京都の洋菓子店のCADOT(カド)が販売したことで、日本にも浸透した[3][4]

作り方

編集
 
マドレーヌの焼き型

材料はパウンドケーキとほぼ同じで、主となる材料は薄力粉、卵、砂糖、バターがそれぞれほぼ等量で、それにベーキングパウダーを加える。レモンの皮としぼり汁を加えることもある。バターを除く材料を混ぜ、最後に溶かしたバターを混ぜいれ、生地を焼き型に入れてオーブンで焼く[5]フィナンシェとの違いは、マドレーヌは全卵を使うのに対して、フィナンシェは卵白のみを使うところである。

脚注

編集

出典

編集
  1. ^ マドレーヌ”. 一般社団法人 日本洋菓子協会連合会. 2023年6月24日閲覧。
  2. ^ お菓子の由来物語 P.79
  3. ^ 老舗レトロな東京みやげ「カド」”. Fashionsnap.com. レコオーランド (2017年8月1日). 2022年10月10日閲覧。
  4. ^ Naoyuki金井 (2015年3月28日). “浅見光彦ミステリーウォーク! 東京都北区の歴史アートスポット”. トラベルjp. ベンチャーリパブリック. 2022年10月10日閲覧。
  5. ^ お菓子の基本大図鑑 P.50

参考文献

編集
  • 大森由紀子『フランス菓子図鑑 お菓子の名前と由来』世界文化社、2013年8月。ISBN 9784418132195 
  • 猫井登『お菓子の由来物語』幻冬舎、2008年9月。ISBN 978-4779003165 
  • 辻製菓専門学校『お菓子の基本大図鑑』講談社、2001年2月。ISBN 9784062095778 

関連項目

編集
  • マルセル・プルースト - 自著小説『失われた時を求めて』の冒頭で主人公はマドレーヌの匂いから遠い過去の記憶を呼び覚まされて、20世紀を代表する長編小説の幕が開く。このシーンが有名になったことから、味覚や嗅覚から過去の記憶が呼び覚まされる心理的な現象が、「マドレーヌ効果」、「プルースト現象(効果)」、「無意識的記憶」と称されることがある。
  • シェル・レーヌ
  • 天使の聖母トラピスチヌ修道院 - 北海道函館市にある女子修道院で、1956年から「マダレナケーキ」の名前で製造販売しており、修道院の名物となっている。
  • 三崎漁港 - マグロ漁獲高が全国でも有数の漁港。様々なマグロ料理があることで知られているが、マドレーヌにマグロと餡を入れた、「マグレーヌ」(和菓子屋『清月』)という菓子もある。