マトラ・MS670
マトラ・MS670(Matra MS670 )は、マトラが開発したプロトタイプレーシングカーである。1972 - 1974年のル・マン24時間レースにおいて3連覇を果たした。
MS670C(2009年、シルバーストン) | |||||||
カテゴリー | プロトタイプ | ||||||
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コンストラクター | マトラ | ||||||
先代 | マトラ・MS660 | ||||||
主要諸元 | |||||||
シャシー | アルミニウムモノコック | ||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン・コイルスプリング | ||||||
サスペンション(後) | Iアーム・パラレルリンク | ||||||
全長 | 4,300mm | ||||||
全幅 | 940mm | ||||||
全高 | 2,050mm | ||||||
トレッド | 1,525mm/1,500mm | ||||||
ホイールベース | 2558mm | ||||||
エンジン | マトラ・MS72 2,992cc 60度V12 NA ミッドエンジン | ||||||
トランスミッション | ZF 5速 マニュアル | ||||||
重量 | 675kg | ||||||
燃料 | シェル | ||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||
主要成績 | |||||||
チーム | マトラ・スポーツ | ||||||
ドライバー |
ジャン=ピエール・ベルトワーズ アンリ・ペスカロロ フランソワ・セベール グラハム・ヒル ジェラール・ラルース ジャン=ピエール・ジャリエ | ||||||
出走時期 | 1972 - 1974 | ||||||
初戦 | 1972年のル・マン24時間レース | ||||||
初勝利 | 1972年のル・マン24時間レース | ||||||
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本項では発展型のMS680Bについても説明する。
概要
編集1970 - 71年のル・マンに出走したMS660の後継車として開発。基本的なメカニズムはほとんど変わらないが、フロント部のホイールが15インチから13インチに縮小(リヤは同一)、リム幅がフロント・11インチ、リヤ・15インチに変更された。エンジンは新設計のMS72(出力は450bhp/10,500rpm)が搭載される(ペスカロロ車は旧式のMS12)。
1973年型はギアボックスがZFからヒューランド製のDG300に変更される。エンジンの出力は475bhp - 480bhpにアップ。ル・マンで改良型のMS670Bが登場。MS670との相違点はリヤ・ホイールが13インチに縮小、それによりリヤのブレーキがインボード化された。また耐久性向上のためポルシェ製のギアボックスが搭載された[1]。
1974年はMS670Cにバージョンアップ(ル・マンではポルシェ製のギアボックスを装備したMS670Bを使用)。インダクションボックスが前年型より高く設定され、フロントのラジエター・インテークの形状が前年までのインテーク上面がゆるやかな曲線状から直線形になり、ボディの細かいところに手が入れられている。エンジンは出力が490bhp/11,500rpmにアップしたMS73が登場(ル・マンでは450bhp/10,500rpmに抑えられた)。ギアボックスはDG300からTL200に変更された。
戦績
編集1972年
編集この年は世界メーカー選手権には参戦せず、6月10 - 11日に開催されたル・マン24時間のみに参加した。
- ジャン=ピエール・ベルトワーズ/クリス・エイモン(MS670-03)
- フランソワ・セベール/ハウデン・ガンレイ(MS670-02)
- アンリ・ペスカロロ/グラハム・ヒル(MS670-01)
上記三組がMS670でエントリー(他にジャン=ピエール・ジャブイーユ/ディビッド・ホッブス組がMS660Cに乗る)。なお、フランス人と他国人ドライバーという組み合わせの理由は、いずれかのマシンが優勝してもフランス人ドライバーが優勝ということにするため[2]。ペスカロロ/ヒル車のみショートテール仕様で、他2台はロングテール。
前戦まで連勝を続けていたフェラーリ陣営が直前の6月1日になって参戦を見合わせたため、優勝の本命と目された。予選では3台のMS670が1 - 3位を独占、決勝では優勝候補のベルトワーズ組が首位に立ったが、2周目にダンロップ・ブリッジ付近でコンロッドが破損、"アルナージュ"まで来たところで出火してリタイヤ。エイモンは一回も走らずに終わった。レースはセベール組と首位を争ったペスカロロ組が優勝、セベール組も2位に入り悲願のル・マン初優勝を果たした。
- (MS670-01)予選2位/優勝
- (MS670-02)予選1位/決勝2位
- (MS670-03)予選3位/決勝リタイヤ(エンジン・2周)
1973年
編集ル・マンを制したことによりF1から撤退、世界メーカー選手権のタイトル獲得のため本格的に参戦を開始する。ドライバーはベルトワーズ、セベール、ペスカロロの他にジェラール・ラルースが新たに加入。ジャブイーユ、ジャン=ピエール・ジョッソーがリザーブドライバーという布陣で臨んだ(スパ・フランコルシャン1000kmのみ欠場したベルトワーズ/セベール組に代わってエイモン、ヒルが参加[3])。
前年のチャンピオンであるフェラーリとの一騎討ちが注目されたが、フェラーリ陣営が73年型312PBのロングホイールベース化によるアンダーステアに悩まされたのに対して5勝をあげるなど速さではフェラーリを上回っていた。ル・マンでもフェラーリを下して2連勝を飾る。
第10戦ワトキンズ・グレン6時間終了時点でのポイントはマトラが124点、フェラーリが127点と僅差でフェラーリがリードしていたが、最終戦のブエノスアイレス1000kmがアルゼンチン国内の事情により中止され[4]、有効得点[5]の関係でマトラがフェラーリを逆転して選手権のタイトルを獲得した。
- 第1戦 デイトナ24時間レース:(MS670-02)リタイヤ
- 第2戦 ヴァレルンガ6時間:(MS670-02)優勝 (MS670-03)リタイヤ
- 第3戦 ディジョン1000km:(MS670-02)優勝(MS670-03)3位
- 第4戦 モンツァ1000km:(MS670-01)3位(MS670-03)11位
- 第5戦 スパ・フランコルシャン1000km:(MS670-01)3位(MS670-03)リタイヤ
- 第6戦 タルガ・フローリオ:出場せず
- 第7戦 ニュルブルクリンク1000km:(MS670-01)リタイヤ(MS670-03)リタイヤ
- 第8戦 ル・マン24時間:(MS670B-02)優勝(MS670B-01)3位(MS670B-03)リタイヤ(MS670-02)リタイヤ
- 第9戦 オーストリア1000km:(MS670-01)優勝(MS670-03)2位
- 第10戦 ワトキンズ・グレン6時間:(MS670-03)優勝(MS670B-01)リタイヤ
1974年
編集ライバルのフェラーリがスポーツカーレースから撤退したためチャンピオンの有力候補と目された。ドライバーは事故死したセベールに代わってジャン=ピエール・ジャリエが加入した他は前年と同じ顔ぶれ(スパ1000kmのみベルトワーズに代わりジャッキー・イクスがドライブ)。初戦のモンツァ1000kmこそ落としたものの、ル・マンでペスカロロ/ラルース組が2年連続で優勝したのを含む9戦全勝で2年連続のチャンピオンを獲得する。しかし、シーズン終了後クライスラーがレース資金の援助を打ち切ることになり、スポーツカーレースから撤退した。
- 第1戦 モンツァ1000km:(MS670C/B-03)リタイヤ(MS670C/B-04)リタイヤ
- 第2戦 スパ・フランコルシャン1000km:(MS670C/B-04)優勝(MS670C/B-01)リタイヤ
- 第3戦 ニュルブルクリンク1000km:(MS670C/B-04)優勝(MS670C/B-01)5位
- 第4戦 イモラ1000km:(MS670C/B-01)優勝(MS670C/B-04)4位
- 第5戦 ル・マン24時間:(MS670B/B-06)優勝(MS670B/B-05)3位(MS670B/B-02)リタイヤ
- 第6戦 オーストリア1000km:(MS670C/B-01)優勝(MS670C/B-04)3位
- 第7戦 ワトキンズ・グレン6時間:(MS670C/B-04)優勝(MS670C/B-01)リタイヤ
- 第8戦 ポールリカール1000km:(MS670C/B-04)優勝(MS670C/B-01)2位
- 第9戦 ブランズハッチ1000km:(MS670C/B-04)優勝(MS670C/B-01)2位
- 第10戦 キャラミ6時間:(MS670C/B-01)優勝(MS670C/B-04)2位
MS680B
編集1974年のル・マン24時間にMS670Bを元にして製作されたMS680Bを投入。相違点はフロントにあったラジエターがボディ側面に移設されたことである。ベルトワーズ/ジャリエ組がドライブしたが104周でエンジントラブルのためリタイヤ。皮肉にも一番初めに戦線離脱することになった。この後第8戦ポールリカール1000kmに持ち込まれ練習走行に出走したが、レースには登場せず。
ドライバー
編集- ジャン=ピエール・ベルトワーズ(1972年 - 1974年)
- フランソワ・セベール(1972年 - 1973年)
- ジャン=ピエール・ジャリエ(1974年)
- アンリ・ペスカロロ(1972年 - 1974年)
- ジェラール・ラルース(1973年 - 1974年)
- クリス・エイモン(1972年、1973年スパ・フランコルシャン1000km)
- グラハム・ヒル(1972年、1873年スパ・フランコルシャン1000km)
- ジャッキー・イクス(1974年スパ・フランコルシャン1000km)
- ハウデン・ガンレイ(1972年)
- デイビッド・ホッブス(1972年)
- ジャン=ピエール・ジャブイーユ(1972年、1973年 - 1974年ル・マン24時間)
- ジャン=ピエール・ジョッソー(1973年 - 1974年ル・マン24時間)
- パトリック・デパイユ(1973年ル・マン24時間)
- ボブ・ウォレク(1973年 - 1974年ル・マン24時間)
- フランソワ・ミゴール(1974年ル・マン24時間)
- ジョゼ・ドレム(1974年ル・マン24時間)
脚注
編集参考文献
編集- 檜垣和夫『スポーツカープロファイルシリーズ6 マートラ MS620 / MS630 / MS650 / MS660 / MS670 / MS680 アルピーヌ M63 / M64 / M65 / M210 / M220』二玄社、2010年 ISBN 978-4-544-40047-2
関連項目
編集- シャドウ・DN7 - MS670Cのエンジン"MS73"を搭載。