マティルデ・カロリーネ・フォン・バイエルン
マティルデ・カロリーネ・フォン・バイエルン(Mathilde Karoline von Bayern, 1813年8月30日 - 1862年5月25日)は、バイエルン王国の王女。全名はマティルデ・カロリーネ・フリーデリケ・ヴィルヘルミーネ・シャルロッテ(Mathilde Karoline Friederike Wilhelmine Charlotte)。バイエルン王ルートヴィヒ1世の長女で、ヘッセン大公ルートヴィヒ3世の妃となった。
マティルデ・カロリーネ・フォン・バイエルン Mathilde Karoline von Bayern | |
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ヘッセン大公妃 | |
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在位 | 1848年3月5日 - 1862年5月25日 |
別称号 | バイエルン王女 |
全名 | マティルデ・カロリーネ・フリーデリケ・ヴィルヘルミーネ・シャルロッテ |
出生 |
1813年8月30日 バイエルン王国、アウクスブルク |
死去 |
1862年5月25日(35歳没) ヘッセン大公国、ダルムシュタット |
埋葬 | ヘッセン大公国、ダルムシュタット |
結婚 | 1833年12月26日 ミュンヘン |
配偶者 | ヘッセン大公ルートヴィヒ3世 |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | バイエルン王ルートヴィヒ1世 |
母親 | テレーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン |
生涯
編集1813年8月30日、ルートヴィヒ1世(当時王太子)とその妃であったザクセン=ヒルトブルクハウゼン公フリードリヒの娘テレーゼの間に第二子としてアウクスブルクで生まれた。
マティルデ・カロリーネは1833年12月26日にミュンヘンでヘッセン大公世子ルートヴィヒと結婚し、1848年に夫が即位すると大公妃となった。
1862年5月25日、マティルデ・カロリーネはダルムシュタットで死去し、当地に葬られた。ルートヴィヒ3世との間には子供は生まれなかった。