マックス・ヴァールブルク

ドイツの銀行家

マックス・マウリッツ・ヴァールブルク(英語読みはマックス・モリッツ・ウォーバーグ)(Max Moritz Warburg、1867年6月5日 - 1946年12月26日)は、ドイツの銀行家である。民間銀行M・M・ヴァールブルク&COの取締役を務めた(1910年-1938年)。

マックス・ヴァールブルク(1904年)、ルドルフ・デュールコープ撮影

背景と経歴

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彼はハンブルクヴァールブルク家に生まれた。アブラハム・M・ヴァールブルクAbraham M. Warburg)、ポール・M・ヴァールブルクPaul M. Warburg)、フェリックス・M・ヴァールブルクFelix M. Warburg)は兄弟である。

第一次世界大戦の間、彼は皇帝ヴィルヘルム2世の顧問を務め、ヴェルサイユ条約の交渉でドイツの代表団に参加した。

1924年、彼はクーデンホーフ=カレルギー伯爵パン・ヨーロッパ運動に60,000金マルクを提供した[1]

ヴァールブルクは熱烈なドイツ愛国者で、彼はユダヤであるという事実にもかかわらず、1933年以降のドイツに残ることを選択した。1933年から1938年までドイツ帝国銀行の役員を務めたが、彼は彼の銀行の売却と米国移住を余儀なくされ、1946年に死去した。

脚注

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  1. ^ 田中 2004, p. 8.

参考文献

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  • 田中文憲ヨーロッパ統合の立役者たち(1) : リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー」『奈良大学紀要』第32号、奈良大学、2004年3月、1-18頁、CRID 1050019058225703936ISSN 038922042024年7月26日閲覧 

外部リンク

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