マチュー1世・ド・モンモランシー
マチュー1世・ド・モンモランシー(フランス語:Mathieu Ier de Montmorency, 1100年ごろ - 1160年)は、モンモランシー、マルリー、コンフラン=サント・オノリーヌおよびアティシーの領主。ルイ7世のもとでフランス軍総司令官(在任:1138年 - 1160年)をつとめた[1]。
マチュー1世・ド・モンモランシー Mathieu Ier de Montmorency | |
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モンモランシー領主 | |
在位 | 1132年 - 1160年 |
出生 |
1100年ごろ |
死去 |
1160年 |
配偶者 | アリス・フィッツロイ |
アデル・ド・サヴォワ | |
子女 | 本文参照 |
家名 | モンモランシー家 |
父親 | ブシャール4世 |
母親 | アニェス・ド・ボーモン=シュル=オワーズ |
役職 | フランス軍総司令官(1138年 - 1160年) |
生涯
編集マチュー1世はブシャール4世・ド・モンモランシーとアニェス・ド・ボーモン=シュル=オワーズの息子である。
1126年、イングランド王ヘンリー1世の庶子アリス(アリックス)・フィッツロイと結婚し[2]、以下の子女をもうけた。
- アンリ(1160年以前没)
- ブシャール5世(1189年エルサレムで没) - 1173年にエノー伯ボードゥアン4世の娘ローレット(1181年8月9日没)と結婚[2]、マチュー2世をもうけた。
- ティボー(1189年以降) - マルリー領主。1173年に十字軍に参加した。1189年以降にシトー会修道士として死去した。
- エルヴェ - サン=マルタン・ド・モンモランシー修道院長、のちパリの教会で助祭および主席司祭となった。
- マチュー(1204年コンスタンディノープルで没)[3] - 兄ティボーよりマルリーを継承。ブシャール・ド・マルリーの父。
アリスは1141年以前に死去し、1141年にフランス王ルイ6世の未亡人でルイ7世の母アデル・ド・サヴォワと再婚した[4]。
脚注
編集- ^ Crouch 1986, p. 64.
- ^ a b Zerner 1992, p. 449.
- ^ Lippiatt 2017, p. xvii.
- ^ Henneman 1995, p. 7.
参考文献
編集- Crouch, David (1986). The Beaumont Twins: The Roots and Branches of Power in the Twelfth Century. Cambridge University Press
- Lippiatt, G. E. M. (2017). Simon V of Montfort and Baronial Government, 1195-1218. Oxford University Press
- Henneman, John Bell Jr. (1995). "Adelaide of Savoy". In Kibler, William W.; Zinn, Grover A. (eds.). Medieval France: An Encyclopedia. Routledge.
- Zerner, Monique (1992). “L'epousa de Simon de Montfort, et la croisade albigeoise”. In Duby, Georges (French). Femmes, mariages, lignages – XIIe-XIVe siècles: Mélanges offerts à Georges Duby. De Boeck-Wesmael