マイスター・フランケ
マイスター・フランケまたはフラーテル・フランケ(Meister Francke aka Frater Francke, 1383年頃 低地ライン地方 - 1436年頃 ハンブルク)は、アルターピース(祭壇飾り)の画家、修道士。
生涯と再発見
編集フランケの生涯についてはほとんど記録に残っていないが、1567年頃に、ヘルマン・フォン・ケルセンブロイク(1520年頃 - 1585年)は、フランケはズトフェン(現オランダ)から来たドミニコ会修道士であると、ミュンスターの再洗礼派の歴史の中で報告している。 アルターピースの購入契約の写しから、ハンブルクの聖ヨハネス修道院の仕事は遅くとも1424年には着手していたようだ。
フランケのことは死後長い間忘れられていたが、1899年、アルフレート・リヒトヴァルクがハンブルク美術館のために1年前に手に入れた聖トマス教会のアルターピースの作者を調べていたアントン・ハゲドルンがフランケの名前を発掘した。リヒトヴァルクはその年のうちにそのことを論文で発表した。1925年初めてフランケの作品が公開され、1929年にはベラ・マルテンスも論文を発表した。
作品
編集フランケは国際ゴシックの代表的画家で、ゴシック初期のこわばったフォルムに逆らって、ゴシック後期の上品で愛らしい表現のフォルムを目指した。しかし、こうした穏やかさは、残酷な暴力描写と緊張感に満ちたコントラストを成していて、表情、身振りとも特殊である。フランケの作品は空間的な深さの表現を基礎としていて、それをたっぷりと使って、素晴らしい色で描かれている。フランケの絵と15世紀パリのミニアチュール(細密が)との類似(さらにはフランケはパリの写字室で学んでいたとも)という研究者がいる一方、両者にはっきりと線を引く研究者もいる。
ギャラリー
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聖バルバラ教会のアルターピース(1424年以前)
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『カンタベリーの聖トマスの殉死』聖トマス教会のアルターピース(1424年頃)
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『受難のキリスト』(1430年頃)
外部リンク
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