マイケル・ペトコヴィッチ
マイケル・ペトコヴィッチ(Michael Petkovic, 1976年7月16日 - )は、オーストラリア・フリーマントル出身の元オーストラリア代表の元サッカー選手。ポジションはGK。兄のジェイソン・ペトコヴィッチも、かつてオーストラリア代表でGKとしてプレーした。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Michael Petkovic | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストラリア | |||||
生年月日 | 1976年7月16日(48歳) | |||||
出身地 | フリーマントル | |||||
身長 | 189cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1995-1999 1999-2000 2000-2002 2001 2002-2005 2005-2010 2010-2011 |
サウス・メルボルン ストラスブール サウス・メルボルン → リールストロム (loan) トラブゾンスポル スィヴァススポル メルボルン・ビクトリー |
105 (0) 0 (0) 56 (0) 0 (0) 87 (0) 129 (1) 31 (0) | ||||
代表歴 | ||||||
2001-2008 | オーストラリア | 6 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集サウス・メルボルンFCでキャリアを始め、1995年から1999年までの間に100試合以上出場した。1999年にフランスのRCストラスブールへ移籍するも、労働許可証の問題[1]から1試合も出場出来ず、2000年にサウス・メルボンへ復帰した。2年在籍の間にノルウェーのリールストロムSKへローン移籍し2度目の国外挑戦となったものの、ここでも出場は叶わなかった。
2002年、トルコのトラブゾンスポルへ移籍すると2005年までの間で87試合に出場した。スィヴァススポルでは、129試合に出場する中でMKEアンカラギュジュ戦でキャリア初ゴールを記録した。トルコリーグでは8シーズンで200試合以上に出場と見事に成功した。
2010年、Aリーグのメルボルン・ビクトリーFCへ移籍。加入1年目は正GKとして30試合に出場。翌年はパース・グローリーFCからタンドゥ・ベラフィが加入することで厳しい戦いが待ち受けると思われたが、チームのAFCチャンピオンズリーグ2010敗退に伴い引退を表明した[2]。
代表
編集2001年から2008年までの間に6キャップを記録。2001年4月11日、オーストラリア代表史上最大最大差勝利試合となった2002 FIFAワールドカップ・オセアニア予選アメリカ領サモア戦(オーストラリア 31-0 アメリカ領サモア)でゴールマウスを守った。
所属クラブ
編集- サウス・メルボルンFC 1995-1999
- RCストラスブール 1999-2000
- サウス・メルボルンFC 2000-2002
- → リールストロムSK 2001 (loan)
- トラブゾンスポル 2002-2005
- スィヴァススポル 2005-2010
- メルボルン・ビクトリーFC 2010-2011
脚注
編集外部リンク
編集- マイケル・ペトコヴィッチ – FIFA主催大会成績
- マイケル・ペトコヴィッチ - National-Football-Teams.com