マイケル・サムズ

イギリスのバレエダンサー

マイケル・ジョージ・サムズ(Michael George Somes CBE、1917年9月28日 – 1994年11月18日)は、イギリスバレエダンサーである。ロイヤル・バレエ団のプリンシパルであり、数多くの公演でマーゴ・フォンテインのパートナーを務めた。

マイケル・サムズとマーゴ・フォンテイン。シアター・アーツ・マガジン1957年9月号表紙

グロスターシャー州ホースリーで生まれ、1934年にロイヤル・バレエ団(当時はヴィック・ウェルズ・バレエ団)から男性ダンサーとして初めてスカラシップを授与された。1938年にフォンテインと組んでフレデリック・アシュトン振付・コンスタント・ランバート作曲のバレエ『ホロスコープ』で主役の初演キャストとなり、「この半世紀で最も優れたイギリス人男性ダンサーとなり得る」と評された[1]。サムズはアシュトンがロイヤル・バレエ団に振り付けたバレエ作品24本で初演キャストとなり、1951年からは1962年にルドルフ・ヌレエフが加入するまでロイヤル・バレエ団の男性ダンサーのトップを張っていた。ヌレエフ加入後は演技力を要する役割が多くなり、特に『ロミオとジュリエット』のキャピュレット卿役が有名である。1963年から1970年にかけて、アシュトンの下でロイヤル・バレエ団の芸術助監督を務めた。

1954年にはエド・サリヴァン・ショーに出演したほか、テレビ版の『白鳥の湖』(1954年)、『眠れる森の美女』(1955年)、『くるみ割り人形』(1958年)に出演。1966年には映画版の『ロメオとジュリエット』に出演している。いずれもマーゴ・フォンテインとの共演であった。

1959年に大英帝国勲章コマンダー章を受章した。同僚のアントワネット・シブリーと結婚したが後に離婚し、バレエダンサーのウェンディ・エリスと再婚している。1994年にロンドンで脳腫瘍のため亡くなった。

参考文献

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  1. ^ Ballet magazine, 1938 Archived 17 September 2008 at the Wayback Machine.

外部リンク

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