マイク・ムース
マイク・ムース (Mike Muuss) ことマイケル・ジョン・ムース(Michael John Muuss、1958年10月16日 - 2000年11月20日)は、アメリカ合衆国のプログラマである。ネットワークユーティリティpingを作成したことで知られる。
マイク・ムース Mike Muuss | |
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マイク・ムース(1999年) | |
生誕 |
Michael John Muuss 1958年10月16日 アメリカ合衆国 アイオワ州アイオワシティ |
死没 |
2000年11月20日 (42歳没) アメリカ合衆国メリーランド州ハバディグレイス |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | プログラマ |
著名な実績 | ping |
配偶者 | Susan Pohl |
業績
編集ジョンズ・ホプキンズ大学を卒業後、メリーランド州アバディーン性能試験場の弾道研究所に採用され、亡くなるまでそこに勤務した。彼は、幾何学ソリッドモデリング、レイトレーシング、MIMDアーキテクチャ、コンピュータネットワークを専門とする上級科学者だった。彼はBRL-CADなどのソフトウェアパッケージやttcpなどのネットワークツールを作成し、BINDなどにも貢献した[1]。デフォルトルート(デフォルトゲートウェイ)という概念を作ったのも彼だった。
しかし、彼が作成したもので最も有名なのは、1983年12月に書いた約千行のソースコードによるpingである。その有用性から、pingは多くのオペレーティングシステムに実装されてきた。最初に実装されたのはBSDとUnixで、後にWindowsやMac OS Xにも実装された。1993年、USENIX協会は、カリフォルニア大学バークレー校のComputer Systems Research Groupに対して、4.4BSD-Liteのリリースに貢献した(ムースを含む)180人を称えて、第1回USENIX貢献賞を授与した。
クリフォード・ストールの『カッコウはコンピュータに卵を産む(The Cuckoo's Egg)』(ISBN 0-7434-1146-3)とケイティ・ハフナー、ジョン・マルコフの『ハッカーは笑う(Cyberpunk: Outlaws and Hackers on the Computer Frontier)』(ISBN 0-684-81862-0)では、クラッカーを追い詰める彼の役割について言及している。また、ピーター・H・サルスの『UNIXの1/4世紀(A Quarter Century of UNIX)』でも言及されている。
ムースは2000年11月20日に州間高速道路95号線で自動車衝突事故により死亡した[2]。彼の友人と家族は、ジョンズ・ホプキンズ大学でムースを記念する「マイケル・J・ムース研究賞」を設立した[3]。
関連項目
編集脚注
編集- ^ Internet Systems Consortium. “History of BIND software development”. 2008年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。23 August 2013閲覧。
- ^ “Michael John Muuss, 42, computer expert whose software had key role in Internet”. Baltimore Sun (November 25, 2000). 23 August 2013閲覧。
- ^ Johns Hopkins University. “Awards” (PDF). 2003年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。23 August 2013閲覧。
外部リンク
編集- Mike Muuss's home page
- Mike Muuss, The Story of the PING Program
- An Early UseNet Post by Mike Muuss Discussing Ping's history ICMP As A Diagnostic Tool?
- Mike Muuss, The Story of the TTCP Program
- BRL-CAD