マイク・マクレディ
マイケル・"マイク"・デヴィッド・マクレディ(Michael David McCready、1966年4月5日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン、ソングライター。ロックバンド、パール・ジャムのリードギタリストとして最もよく知られる。他にもテンプル・オブ・ザ・ドッグやマッドシーズンなどで活動。
マイク・マクレディ Mike McCready | |
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サンディエゴにて(2013年11月) | |
基本情報 | |
出生名 | Michael David McCready |
別名 | Petster, McMelty |
生誕 | 1966年4月5日(58歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 フロリダ州 ペンサコーラ |
ジャンル | オルタナティヴ・ロック、ハードロック、ブルースロック、グランジ、ヘヴィメタル |
職業 | ミュージシャン、ソングライター |
担当楽器 | ギター、ボーカル、ドラムス |
活動期間 | 1979年 - |
レーベル | モンキーレンチ、A&M、エピック、SME、J |
共同作業者 | パール・ジャム、テンプル・オブ・ザ・ドッグ、マッド・シーズン、ロックフォーズ、シャドウ'86、フライト・トゥ・マーズ、ウォーキング・ペイパーズ、M.A.C.C. |
著名使用楽器 | |
フェンダー・ストラトキャスター フェンダー・テレキャスター ギブソン・レスポール ギブソン・SG |
来歴
編集生い立ち
編集フロリダ州のペンサコーラに生まれるが、出生後まもなくシアトルに引っ越す[1]。11歳で初めてギターを手にし、ギターのレッスンに通い始める。中学時代にWarriorsというバンドを組み(まもなくShadowに改名)、当初はカバー曲を演奏していたが後にオリジナルの楽曲も作り始め、デモテープの制作も開始する[2]。高校卒業後もShadowは活動を続けていたが1988年に解散[2]。その後は音楽やギター演奏から遠ざかり、髪を切ってコミュニティ・カレッジに入学し、夜はレンタルビデオ店で働き始めるが[3]、スティーヴィー・レイ・ヴォーンのライヴを目の当たりにした後に再び音楽への意欲を取り戻す。マクレディはLove Chileというバンドに加入し[3]、徐々に音楽活動を活発化させていく。その後マクレディは後にパール・ジャムのメンバーとなるストーン・ゴッサードとジェフ・アメンと共にテンプル・オブ・ザ・ドッグを結成した。
テンプル・オブ・ザ・ドッグ
編集テンプル・オブ・ザ・ドッグにはサウンドガーデンのクリス・コーネルがヴォーカリストを務め、ドラマーは後にパール・ジャムに加入するマット・キャメロンが担当した。後にオーディションでパール・ジャムのヴォーカリストとなるエディ・ヴェダーも加入し、コーラスやコーネルとのデュエットを行った。1991年4月に唯一のアルバム『テンプル・オブ・ザ・ドッグ』をリリースし、バンドは同年に解散した。
パール・ジャム
編集パール・ジャムはテンプル・オブ・ザ・ドッグ解散前の1990年に結成され、翌年8月にアルバム『ten』でデビューした。1990年代前半に吹き荒れたグランジ・ムーブメントの第一人者としてバンドは急速に人気を獲得し、現在も活動中である。
脚注
編集- ^ The Rock FM. Mike McCready interview on The Rock radio station The Rock. November 19, 2009.
- ^ a b Greene, Jo-Ann. "Intrigue and Incest: Pearl Jam and the Secret History of Seattle" (Part 2). Goldmine . August 20, 1993.
- ^ a b Rotondi, James. "Blood On the Tracks". Guitar Player. January 1994.