マイク・ソロムコ
アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身の元プロ野球選手
マイケル・ソロムコ(Michael "Mike" Solomko , 1936年7月24日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身の元プロ野球選手(外野手)。
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ペンシルベニア州 |
生年月日 | 1936年7月24日(88歳) |
身長 体重 |
5' 9" =約175.3 cm 180 lb =約81.6 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 左翼手 |
プロ入り | 1954年 |
初出場 | NPB / 1960年4月16日 |
最終出場 | NPB / 1965年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集1954年にピッツバーグ・パイレーツと契約。メジャーに昇格することはなく、1958年に在日米軍キャンプ座間の兵士として来日する。
米軍チーム時代のプレーを、横浜高校野球部部長などを歴任した小倉清一郎氏が少年時代に目撃している。
1960年春に大阪タイガースの入団テストを受け合格し、4月7日に入団が発表された。同球団初の白人系選手となる。入団1年目から4試合連続本塁打[1]、17本塁打(チーム2位)を放つなど中距離打者として活躍し、オールスターゲームにも出場した[2]。その後も主に5番・6番を打ち、1962年にはリーグ優勝を経験した。
1964年1月11日、若生智男とのトレードで東京オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に移籍。NPBの外国人選手として初めて交換トレードを経験した[3]。移籍後も5番を打った。1965年に現役引退。
引退後も日本にとどまり、輸入調理器具の訪問販売を行うイージーウェアズ[4]を設立した(1980年代半ばに放映されたウェストベンド社ラスタークラフトのCMには自ら出演)。1980年代には阪神対巨人のOB戦にも出場。
人物
編集詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1960 | 大阪 阪神 |
99 | 321 | 290 | 38 | 70 | 15 | 2 | 17 | 140 | 38 | 8 | 10 | 9 | 0 | 21 | 0 | 1 | 81 | 5 | .241 | .294 | .483 | .777 |
1961 | 119 | 475 | 422 | 53 | 114 | 20 | 3 | 21 | 203 | 70 | 12 | 11 | 7 | 4 | 38 | 5 | 4 | 93 | 8 | .270 | .333 | .481 | .814 | |
1962 | 122 | 435 | 387 | 43 | 86 | 14 | 2 | 14 | 146 | 42 | 8 | 3 | 3 | 2 | 38 | 0 | 5 | 121 | 11 | .222 | .299 | .377 | .676 | |
1963 | 113 | 428 | 376 | 57 | 99 | 19 | 3 | 22 | 190 | 62 | 9 | 5 | 3 | 1 | 42 | 4 | 6 | 69 | 8 | .263 | .346 | .505 | .851 | |
1964 | 東京 | 119 | 454 | 396 | 47 | 100 | 14 | 2 | 15 | 163 | 44 | 11 | 11 | 7 | 2 | 45 | 1 | 4 | 82 | 14 | .253 | .333 | .412 | .745 |
1965 | 50 | 184 | 165 | 19 | 40 | 8 | 1 | 6 | 68 | 18 | 5 | 3 | 4 | 0 | 14 | 0 | 1 | 34 | 3 | .242 | .306 | .412 | .718 | |
通算:6年 | 622 | 2297 | 2036 | 257 | 509 | 90 | 13 | 95 | 910 | 274 | 53 | 43 | 33 | 9 | 198 | 10 | 21 | 480 | 49 | .250 | .322 | .447 | .769 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 大阪(大阪タイガース)は、1961年に阪神(阪神タイガース)に球団名を変更
記録
編集- 初記録
- 初出場・初先発出場:1960年4月16日、対読売ジャイアンツ1回戦(阪神甲子園球場)、7番・左翼手で先発出場
- 初安打:1960年4月17日、対読売ジャイアンツ2回戦(阪神甲子園球場)、1回裏に中村稔から右中間フェンス直撃二塁打
- 初打点:1960年4月19日、対中日ドラゴンズ4回戦(阪神甲子園球場)、3回裏に児玉泰から適時二塁打
- 初本塁打:1960年4月23日、対国鉄スワローズ1回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に森滝義巳から右越ソロ
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (1960年)
背番号
編集- 56 (1960年 - 1964年)
- 9 (1965年)
脚注
編集- ^ ベースボールマガジン 2011年9月号 P96
- ^ 阪神の外国人選手で「1年目にオールスターゲーム出場」はソロムコ以降、2010年のマット・マートンまで出現しなかった。
- ^ “いくつ覚えてる?外国人選手が絡んだ交換トレードを振り返る | BASEBALL KING”. BASEBALL KING. 2020年6月28日閲覧。
- ^ ラスタークラフトで作る健康料理、豊かな健康生活をひらく―イージーウェアズ
- ^ バッキー氏、今も忘れない温かいニホンジンと先輩・小山さんの思い出
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 マイク・ソロムコ - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference (Register)