ポール・ラニアン
ポール・ラニアン(Paul Runyan, 1908年7月12日 - 2002年3月17日)は、アメリカ・アーカンソー州ホットスプリングス出身のプロゴルファーである。フルネームは Paul Scott Runyan (ポール・スコット・ラニアン)という。小柄ながら、抜群の小技でサム・スニード等の飛ばし屋とアメリカツアーで渡り合っていたことから「Little Poison(小さな毒虫)」という異名を持った。平均飛距離231ヤードとされるなか、賞金王にもなった。
Paul Runyan | |
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基本情報 | |
名前 | ポール・ラニアン |
生年月日 | 1908年7月12日 |
没年月日 | 2002年3月17日(93歳没) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アメリカ合衆国アーカンソー州ホットスプリングス |
経歴 | |
成績 | |
優勝回数 |
メジャー:2勝 米国男子:29勝 |
賞金王 | 1934年 |
賞金ランク最高位 | 米国男子:1位(1度) |
殿堂表彰者 | |
選出年 | 1990年 |
略歴
編集ラニアンは17歳でプロに転向し、22歳になった1930年にツアー初優勝。1933年から1934年にかけて、メジャータイトルである全米プロゴルフ選手権を含め、ツアー16勝を挙げた。PGAツアー通算28勝(現メジャーのPGA選手権の2勝含む)。
1930年代後半からプレーヤーとしてだけでなく、指導者として活躍し、死去する3週間前まで70年近くに渡って、多くのトッププロを指導した。教えを受けた有名プロに、ジーン・リトラー、ミッキー・ライトがいる。
1990年に世界ゴルフ殿堂入り。
プロ優勝
編集PGAツアー (29)
編集- 1930 (2) North and South Open, New Jersey Open
- 1931 (2) Metropolitan PGA, Westchester Open
- 1932 (1) Gasparilla Open Match Play
- 1933 (9) Agua Caliente Open, Miami Biltmore Open (3月), Virginia Beach Cavalier Open, Eastern Open Championship, National Capital Open, Mid-South Pro-Pro (with ウィリー・マクファーレン), Mid-South Open (tie with ウィリー・マクファーレン and ジョー・ターネサ), Miami International Four-Ball (with Horton Smith), Pasadena Open
- 1934 (6) St. Petersburg Open, Florida West Coast Open, Tournament of the Gardens Open, The Cavalier Open, Metropolitan Open, 全米プロゴルフ選手権
- 1935 (4) North and South Open, Grand Slam Open, Westchester Open, Metropolitan PGA
- 1936 (2) Westchester Open, Metropolitan PGA
- 1938 (1) 全米プロゴルフ選手権
- 1939 (1) Westchester Open
- 1941 (1) Goodall Round Robin
太字はメジャー選手権優勝
その他優勝
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- 1934 Westchester Open
- 1938 アルゼンチン・オープン
- 1942 Westchester Open
- 1947 Southern California PGA Championship
シニア優勝
編集- 1961 全米プロシニアゴルフ選手権, 世界シニア選手権
- 1962 全米プロシニアゴルフ選手権, 世界シニア選手権