ポール・エルーフランス語:Paul Louis-Toussaint Héroult1863年4月10日 - 1914年5月9日)は、フランスノルマンディー出身の化学者アルミニウム溶融塩電解法を発明し、アルミニウムを製造した。また、生没年が一緒のアメリカの化学者、発明家であるチャールズ・マーティン・ホールと同時に1886年ホール・エルー法を発明したことで知られる。ただし、同時期にアルミニウムの溶融塩電解法を開発し、生没年も一緒のホールとは関係がなく、面識もない。

ポール・エルー

生涯

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en:Thury-Harcourtにあるエルーの

1863年4月10日、フランスのノルマンディーになめし革工場を営むのもとで生まれる。15歳の頃、フランスの化学者であるen:Henri Sainte-Claire Devilleのアルミニウムに関する論文を読んだ。高等学校卒業し、1882年には鉱山学校入学した。

鉱業について研究していたエルーだったが、やがて父が亡くなり、父の工場を継ぐことになる。当時から金属電気精錬に興味を持ち、当時よりも高級でアクセサリーにも使われていたアルミニウムを安価にできないか考えた。

1886年、小さな発電機を用いて溶融した氷晶石酸化アルミニウム溶解させ、電解でアルミニウムを製造する方法を発明し、特許を得た。上記で記載した通り、ホールもエルーと同時期にアルミニウムの製造に成功しており、二人の業績を讃えてホール・エルー法と呼ばれている。

1889年、アメリカに渡り、アルミニウム製法の試験設備を建設したものの失敗に終わる。その後はフランスに帰国し、アルミニウム製造工場を指導した。

また、エルーは電気製鋼炉エルー炉)を発明した。フェロクロムフェロタングステンの製造に成功し、水力発電にも貢献した。1900年には鉄くずを溶解し、軟らかい鉄鋼を作ることに成功した。

1905年、いくつかの企業技術顧問として雇われ、アメリカの工場に招かれた。

1914年5月9日地中海ヨットに乗っている最中に亡くなった。

参考文献

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  • 植村琢崎川範行桜田一郎水島三一郎 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典 15 化学』(初版)小学館日本大百科全書〉(原著1974年10月20日)。 
  • 桜井弘 著、桜井弘 編『元素111の新知識 第2版』(第2版)講談社(原著2009-1-20)。ISBN 978-4062576277 

関連項目

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