ポンポーニョ・ガウリコ

ポンポーニョ・ガウリコ(Pomponio Gaurico, 1484年頃-1530年)は、イタリア詩人人文主義者占星術師ルーカ・ガウリコの弟。

ポンポーニョ・ガウリコ

サレルノ地方ガウロで生まれた。父ベルナルディノは文法学者だった。16世紀初頭にヴェネツィア、次いでパドヴァに滞在し、このころジローラモ・フラカストロ等と交流を持ったようである。20歳になるかならないかというこの時期に、代表作『彫刻論』(フィレンツェ、1504年)が公刊された。これは17世紀半ばまでに10回版を重ねている(抜粋を含む。なお、兄ルーカが関与したボローニャ版を除けば、ニュルンベルクアントウェルペンストラスブールアムステルダムなどいずれもイタリア以外での出版であった)。

その後ローマに滞在し、更に1512年から19年にはナポリで詩学の教師を務めた。ギリシャ語ラテン語に長けており、この頃サレルノの王子の家庭教師も務めている。1520年にはラテン語による詩集を上梓した。

彼はソレントからカステッランマーレ (It:Castellammare) への途上、女性関係のトラブルから暗殺され、遺体は海に投棄されたというエピソードが事実であるかのように紹介されることもあるが、あくまでも伝説に過ぎないようである。

参考文献

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  • (André Chastel (éd.)), Pomponius Gaurius : De Sculptura 1504, Droz, 1969