ポルシェ・904
ポルシェ・904(Porsche 904 )は、ポルシェが開発したレーシングカーである。正式名称はポルシェ・カレラGTS(Porsche Carrera GTS [注釈 1])。
コンストラクター | ポルシェ |
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デザイナー | フェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ |
後継 | ポルシェ・906 |
主要諸元 | |
シャシー | プレス鋼板フレーム |
サスペンション(前) | ウィッシュボーン コイル |
サスペンション(後) | ウィッシュボーン コイル |
全長 | 4,090 mm |
全幅 | 1,540 mm |
全高 | 1,065 mm |
トレッド | 前:1,316 mm / 後:1,312 mm |
ホイールベース | 2,300 mm |
エンジン | 587/3 (587/3S 1965年) 1,966 cc F4 NA ミッドシップ |
トランスミッション | ポルシェ 5速 MT |
重量 | 650 kg |
主要成績 |
国際自動車連盟(FIA)のGT2クラスに合わせて作られ、1964年春にレースデビュー[1]した。ホモロゲーションを取得するため100台以上が生産され、市販もされた。
概要
編集ポルシェのレース活動がF1からスポーツカーへと移行する過程で生まれた本格的レーシングモデルである。しかし完全な競技専用車ではなく、生産性や日常的な扱いやすさも考慮されている。「アマチュアレーサーがレースコースへ自走していけるスポーツカー」として、サーキットから公道ラリーまでオールラウンドに活躍した。
1963年[2]末の発表後半年あまりで110台[1]を生産し、1964年4月にGT2クラスのホモロゲーションを取得。さらに20台が追加生産された。4気筒エンジンの量産型のほか、10台は6気筒バージョンの904/6[注釈 2]、6台は8気筒バージョンの904/8とされ、ワークスマシンとして使用された。
エンジン
編集当初は911用の水平対向6気筒SOHCエンジンを積む予定だったが、実績と信頼性を考慮し、356の2000GS-GT(カレラ2)に搭載していた587/2型 水平対向4気筒DOHCエンジンを高回転型に変更し、リアミッドシップ[2]に搭載した。この名残としてエンジンルームには余裕がある。
1,966ccの排気量から180PS[1]/7,200rpm、20.5kgm/5,000rpmを発生し、最高速度は260-262km/h[1]に達する。また、消音器付きエキゾーストのロードバージョン(155馬力/6,900rpm、17.2kmg/5,000rpm)を選択することもできた。ギア比の設定はファスト・レーシング/ニュルブルクリンク/エアポート・レーシング/ヒルクライムの4種類がある。ファスト・レーシング(ル・マン仕様)での最高速値はレース用エキゾースト(セブリングタイプ)で263km/h、ロードバージョンでは250km/h。キャブレターはウェーバー製ツインチョークを基本とし、ロードバージョンにはソレックス製を装着したモデルもあった。
904/6に搭載された901/20型エンジンは、911の901/01型 1991cc 水平対向6気筒SOHCエンジンを210馬力/8,000rpm、20kgm/6,000rpmにチューンしたものである。
901/20型エンジンはその後、燃料供給をキャブレターから燃料噴射装置に変更して901/21型エンジンとなり、906、910、907で使用された。また、901/20型エンジンを改良した901/22型エンジンも製作され、911Rに搭載された。さらにレースによって開発された901/20型エンジンの技術は901/02型エンジンとして市販車に還元され、911の高性能仕様車911Sに搭載された。[3]
904/8に搭載された771型エンジンは、1962年のF1用1.5Lエンジンをベースとした1,981cc水平対向8気筒エンジン。ル・マン24時間には1964年に2台(29、30号車)[4]、1965年に1台(33号車)[5]の計3台の904/8が出場したが、いずれもクラッチトラブルでリタイアしている。
シャーシ
編集ポルシェの慣例とは異なりチューブラーフレームを用いず、生産性の面から箱型断面の鋼板プレス製ラダーフレームを採用した。
シートは重心移動を嫌ったこと、および車体強度メンバーの一部として用いられたため動かすことができなかった。このためステアリングコラムは可動テレスコピック式であり、ペダル類は位置を前後3段階に調節できるようになっていた。
ボディー
編集エクステリアデザインはフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ[1]が担当し、その最初の大仕事となった[1]。
車体製作は航空機メーカーのハインケルが担当し[1]、FRP製[1]の成形品をシャーシに接着する方式を採用した。空気抵抗の減少と軽量化を目指し、Cd値は0.34[1]、車輌重量は650 kgに抑えた。全高は1,050 mm[1]。
レース戦績
編集1964年
編集デビュー戦のセブリング12時間レースでクラス優勝。タルガ・フローリオでは総合優勝と2位[2]。スパ500kmではクラス優勝。ル・マン24時間レースではクラス優勝、総合7位。ニュルブルクリンク1000kmではクラス優勝。国際マニュファクチャラーズ選手権GT2クラスチャンピオンを獲得[1]した。
日本では、第2回日本グランプリGT-IIクラスで式場壮吉が優勝するも、一時はプリンス・スカイラインGTに乗る生沢徹にオーバーテイクされるという展開があった。この個体(シャシーNo.904070)は数人のオーナーを渡り歩いた後、レストアが施されて現存する。
1965年
編集904/6や904/8がワークスの主力となり、プライベーターの904がバックアップする体制となった。904/6、904/8はプロトタイプクラスからエントリーした。
タルガ・フローリオではギュンター・クラス/アントーニオ・プッチ組[1]がGTクラス優勝[1]した。この時ポルシェから出場した車両は全部完走し総合2-5位を占めている[1]。
ル・マン24時間レースで出力約212PS[1]の6気筒[1]2リットルを搭載したプロトタイプ[1]に乗るヘルベルト・リンゲ/ペーター・ネッカー組[1]が平均速度187.8km/hで総合4位[1]、性能指数賞を獲得、量産車[1]に乗るゲルハルト・コッホ/トニー・フィッシュハーバー組[1]が平均速度181.9km/h[1]で総合5位[1]、クラス優勝[1]、燃費が4.24km/リットル[1]であったことから新たに設定されたエネルギー指数賞獲得[1]を果たした。
前年に続いてGT2クラスチャンピオンを獲得[1]。
ラリー・モンテカルロでオイゲン・ベーリンガー[1]がロルフ・ヴュッターリッヒ[1]を助手とし2位入賞した[2][1]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 『F.ポルシェ その生涯と作品』pp.200-209「904型・911型 若きポルシェたち」。
- ^ a b c d 『われらがポルシェ ポルシェなんでも事典』pp.125-168「栄光のレース物語」。
- ^ 福田明夫、『ALL THAT FLAT6』、「ポルシェ」<NEKO ヒストリックカーブックス2>、企画室ネコ、1985年。
- ^ ドミニク・パスカル、『ル・マンのポルシェ』、p.28、企画室ネコ、1989年。
- ^ ドミニク・パスカル、『ル・マンのポルシェ』、p.30、企画室ネコ、1989年。