ポッジョ・ブラッチョリーニ
ポッジョ・ブラッチョリーニ(Gian Francesco Poggio Bracciolini、1380年2月11日 - 1459年10月30日[1])は、ルネサンス期イタリアの人文主義者。ルクレティウスをはじめ、古代のラテン語文献を見出したことで知られる。
出生と教育
編集ポッジョ・ブラッチョリーニはトスカーナ地方のアレッツォ近郊のテッラヌオーヴァ村(1862年以来、彼の名を称えてテッラヌオーヴァ・ブラッチョリーニ Terranuova Braccioliniと改名)で生まれた。早くから才能をあらわし、研究を進めるため、父とフィレンツェ(フィレンツェ共和国)に行った。彼はラヴェンナのGiovanni Malpaghino(ペトラルカの友人、弟子)のもとでラテン語を学んだ。写本の筆耕に抜群の能力と器用さを示し、フィレンツェの主要な学者たちから注目され、コルッチョ・サルターティやニッコロ・ニッコリと交遊した[2]。公証人法を学び、21歳でフィレンツェの公証人ギルド(Arte dei giudici e notai)に加わった。
経歴
編集1403年10月、サルターティとレオナルド・ブルーニ(「レオナルド・アレティーノ」)からの強い推薦で、彼は秘書として枢機卿、バーリ司教のLandolfo Maramaldoに仕え、数ヵ月後にボニファティウス9世のローマ教皇庁尚書院 (en) に招かれた。当時は教会大分裂の時期であった。
1404年以降、ポッジョはボニファティウス9世、インノケンティウス7世、グレゴリウス12世、ピサ選出教皇のヨハネス23世、マルティヌス5世、エウゲニウス4世、ニコラウス5世に仕えた。この間、教会大分裂を終息させたコンスタンツ公会議に随行した。
文献の探索
編集ポッジョは各地の修道院を訪ね、古代のラテン語文献を探索した。その中でも1417年にドイツ(神聖ローマ帝国)でルクレティウスの『物の本質について』を見出したことが知られている。ポッジョはフィレンツェに人脈を持っており、これらの古典は写本で伝えられ、ルネサンス期の思想に大きな影響を与えた。
脚注
編集- ^ 『ポッジョ・ブラッチョリーニ』 - コトバンク
- ^ 池上俊一『森と山と川でたどるドイツ史』岩波書店、2015年、122頁。ISBN 978-4-00-500817-9。
参考文献
編集- スティーヴン・グリーンブラット『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』河野純治訳、柏書房、2012年。ISBN 978-4-7601-4176-0。