ボリス・バルネット
ボリス・バルネット(Boris Vasilyevich Barnet, ロシア語 Борис Васильевич Барнет, 1902年6月18日 - 1965年1月8日)は、ソビエト連邦(現在のロシア)の映画監督、脚本家、俳優である。
Boris Barnet ボリス・バルネット | |
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1946年 | |
本名 |
ボリス・ヴァシリェヴィッチ・バルニェット (Борис Васильевич Барнет) |
生年月日 | 1902年6月18日 |
没年月日 | 1965年1月8日(62歳没) |
出生地 | ロシア帝国、モスクワ |
死没地 |
ソビエト連邦 ラトビア・ソビエト社会主義共和国、リガ |
国籍 | ソビエト連邦 |
職業 | 映画監督、脚本家、俳優 |
ジャンル | サイレント映画、トーキー |
活動期間 | 1924年 - 1963年 |
活動内容 |
1924年 映画に出演 1927年 監督デビュー |
配偶者 | アラ・カザンスカヤ |
著名な家族 | オルガ・バルネット 娘 |
主な作品 | |
『帽子箱を持った少女』 『国境の町』 『諜報員』 |
人物・来歴
編集ロシア帝国(現在のロシア)のモスクワにボリス・ヴァシリェヴィッチ・バルニェットとして生まれる。
モスクワ美術大学の学生となり、16歳となった1918年ころ、赤軍に加盟し、専門的にボクシングを身に着けた。1924年、レフ・クレショフが監督した『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』に出演した。1927年には、フョードル・オツェプの共同監督として、『ミス・メンド』を初めて監督した。同年、『帽子箱を持った少女』を単独で監督した。
1963年に発表された『ちいさな駅』が最後の監督作となった。その後は沈黙し、アルコール中毒となった。
1965年1月8日、ソビエト連邦(現在のラトビア)のリガで自殺した。満62歳没。父ボリスの没後、娘のオルガ・バルネット はモスクワ芸術座の女優となった。
おもなフィルモグラフィ
編集- 『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』 Необычайные приключения мистера Веста в стране Большевиков) : 監督レフ・クレショフ、1924年 - 出演
- 『ミス・メンド』 Мисс Менд : 共同監督フョードル・オツェプ、1927年 - 監督
- 『帽子箱を持った少女』 Девушка с коробкой : 1927年 - 監督
- 『アジアの嵐』 Потомок Чингисхана : 監督フセヴォロド・プドフキン、1928年 - 出演
- 『トルブナヤの家』 Дом на Трубной : 1928年 - 監督
- 『雪どけ』 Ледолом : 1931年 - 監督
- 『国境の町』 Окраина : 1933年 - 監督・脚本
- 『青い青い海』 У самого синего моря : 1935年 - 監督
- 『騎手物語』 Старый наездник : 1940年 / 1959年 - 監督
- 『賞金首』 Бесценная голова : 1942年 - 監督
- 『ノヴゴロドの人びと』 Новгородцы : 1942年 - 監督
- 『諜報員』 Подвиг разведчика : 1948年 - 監督・出演
- 『豊かな夏』 Щедрое лето : 1951年 - 監督
- 『リャナ』 Ляна (фильм) : 1955年 - 監督
- 『レスラーと道化師』 Борец и клоун : 1957年 - 監督
- 『アリョンカ』 Алёнка : 1961年 - 監督
- 『ちいさな駅』 Полустанок : 1963年 - 監督