ボウイナイフ(Bowie knife)は、ナイフの一種で、刃長20-30cmのクリップポイント、しっかりしたダブルヒルトを持った大型のシースナイフ(鞘付きナイフ)。

ボウイナイフのレプリカ

概要

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西部開拓時代武器と作業用の道具を兼ねて盛んに使われた。正確な定義は大型のダガータイプを含め諸説がある。

ハンティング・ナイフの原型であり、元はヨーロッパで使われていたブッチャー・ナイフ(屠殺ナイフ)を改造したものが始まりだといわれている。西部開拓時代の英雄、アーカンソー州の開拓者でデイビー・クロケットらと共にアラモに散ったジェームズ・ボウイ(ジム・ボウイ)が、決闘やバッファロー狩りに愛用していたことからボウイナイフと呼ばれるようになった。

現在のフィールド(原野)まして街中では実用性はほとんどないが、米国フロンティアスピリットを体現する工芸品としての側面を持ち、アメリカでは今も盛んにカスタムナイフビルダーと呼ばれるナイフ専門の刃物職人から大量生産の製品に至るまで幅広く製造されており、フィールドナイフの定番として代表的なメーカーにおいて「ボウイナイフ」のカテゴリーは必ずと言って良いほど存在し、実用を想定したものからコレクターズアイテムないしインテリア用品として広く愛用されている。

大振りで見栄えが良いため、ハリウッド映画を代表するフィクション作品にも数多く登場する。『ランボー』などのよく知られたアクション作品にも登場し、その一方では映画や歴史的な記念の意味合いを付与されたモデル(いわゆるコレクターズナイフとよばれる蒐集対象に据えられる製品群)などが発売されている[1]

諸説・歴史的背景

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この原型を考案したのはジェームズ・ボウイ当人ではなく、兄のレジン・ボウイであると伝えられている。彼はバッファロー狩りに出かけた際に、持っていたナイフが非力であったことからひどい怪我を負ったため、これに懲りて後日特注の丈夫なナイフを持つようになったという。

このレジンが考案した無骨なナイフは弟であるジェームズによっても愛用され、更に改良が施された。この様々な武勇伝で知られた荒くれ者の弟・ジェームズにより、後に伝説的に扱われる事件の中でこのナイフが顔を出すようになって、知名度が出た。なお「ジェームズ・ボウイのナイフ」として広く知れ渡った事件としては、ミシシッピ州ナチェス付近の砂洲(サンドバー)で起こった決闘(サンドバーの決闘)で、この無骨なナイフを使ったジェームスが、(保安官で銀行家の)ノリス・ライト少佐を殺害した逸話が挙げられる。

ただ、ジェームズは後のアラモの戦いで戦死したが、当時の記録によれば彼は熱病に冒された病床をメキシコ兵に襲われ、フリントロック銃で応戦するも討ち取られたという。このとき敵の耳にも知れ渡っていた有名な彼のナイフは、突入したメキシコ兵らによって記念に持ち去られたとも、あるいは既に其処にはなかったとも、諸説囁かれてはいるが行方不明となってしまっている。ただ、彼は生涯に幾度か改良を重ねながらナイフを新調しており、そのような「新調したために使われなくなった前のナイフ」と見られるものや、彼のナイフが有名になって後に作られたと見られる類似するナイフは、由来の真贋が往々にして不明ながらも、何本か報告されているようだ。アーカンソー歴史博物館(リトルロックThird Street200 E.)には、そういったナイフが収蔵されている[2]

この1830年代以前の初期のボウイナイフは先端からやや急な角度で幅広となっているが、現代のボウイナイフを含むファイティングナイフでは、ナイフ素材の信頼性向上と加工技術の発達とにより、より先端部が細く鋭くなっているなどの傾向が見られる。しかし、この先端部シルエットの変更を除けば、現在のファイティングナイフやユーティリティナイフでも、ボウイナイフで見られる工夫からの大きな変更点は少なく、大きなヒルト()と反り返ったスエッジ(擬刃)を持つ先端部、グリップに近い位置で細かい作業に使える峰部分と丈夫なハンドル部分などは現行製品にも継承されている。

脚注

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  1. ^ 『ナイフ・マガジン』1992年6月特大号「世界のファクトリーナイフ2179本大カタログ」(ワールドフォトプレス)参照。
    たとえば米ファクトリーナイフメーカーのAL-MARがジョージ・H・W・ブッシュ大統領にフロンティアスピリッツを象徴するナイフとしてボウイナイフを贈呈した記念の製品として「プレジデント・メモリアルボウイ」という製品がリリースされている(同P.10)
  2. ^ アーカンソー歴史博物館資料

参考文献

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関連項目

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