ホンダ・ビート (自動車)
ビート(BEAT)は、本田技研工業が1991年5月から1996年にかけて製造・販売していた軽自動車規格のオープンカー型ミッドシップスポーツカーである[3]。
ホンダ・ビート PP1型[1] | |
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概要 | |
販売期間 | 1991年5月 - 1996年12月 |
ボディ | |
乗車定員 | 2名 |
ボディタイプ | 2ドア オープン[2] |
エンジン位置 | ミッドシップ |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン | E07A型[2]:656 cc 直列3気筒 SOHC(無鉛レギュラーガソリン使用) |
最高出力 | 64 PS/8,100 rpm[2] |
最大トルク | 6.1 kgf·m/7,000 rpm[2] |
変速機 | 5速MT[2] |
サスペンション | |
前 | マクファーソン式ストラット[2] |
後 | デュアルリンク式ストラット[2] |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,280 mm |
全長 | 3,295 mm[2] |
全幅 | 1,395 mm[2] |
全高 | 1,175 mm[2] |
車両重量 | 760 kg |
その他 | |
生産台数 | 3万3,892台[1] |
新車時価格 | |
系譜 | |
後継 | S660 |
概要
編集量産ミッドシップ車としては世界初のフルオープンモノコックボディ[4]を採用。車体外観のデザインについてはホンダからの公式アナウンスはないものの、ピニンファリーナの元デザイナーエンリコ・フミアは、チェコスロバキア人デザイナーのパーヴェル・ハセックが担当したと語り[5]、自動車雑誌『スクーデリア』[6]ではピニンファリーナ・ミトスをデザインしたピエトロ・カマルデッラが担当したと記載している。
同時期に販売されていた軽スポーツカーのマツダ・オートザムAZ-1(AZ-1)、ビート(Beat)、スズキ・カプチーノ(Cappuccino)の頭文字をとって、「平成ABCトリオ」と称される。
ミッドシップに横置き搭載されるE07A型エンジンは、SOHCの自然吸気(NA)ながら独立3連スロットルと燃料噴射制御マップ切換方式を組み合わせた吸気システム「MTREC」(Multi Throttle Responsive Engine Control) により、軽自動車の自主規制限界の64 PS / 8,100 rpmを発生する。レッドゾーンは8,500 rpmと高回転に設定されている。組み合わせられる変速機は5速MTのみで、ATは設定されていない。
サスペンションは、SUBARUを除く軽自動車では採用例が少ない四輪独立懸架のストラット式で、軽自動車初の4輪ディスクブレーキ、SRSエアバッグ、サイドインパクトビームなどが装備される。タイヤは前13インチ・後14インチで前後異径ある。後輪ブレーキディスクは同時期のプレリュードのものが使用され、ルームミラーはNSXのものを装備している。パワーステアリングは装備されていない。クラッチ形式は乾式単板ダイヤフラム、変速機形式は常時噛合式(後退は選択しゅう動式)、変速機操作方式はフロア・チェンジ式、かじ取り装置形式はラック・ピニオン式。主ブレーキは制動倍力装置が真空倍力式で前後とも油圧式ディスク[3]。
全高が1,175 mmと低いため室内は狭いが、センターコンソールを左側(助手席側)に約2 cm寄せることで、運転席を助手席よりも広く設定している。トランク容量も極めて小さく、純正オプションとしてトランクリッドに取り付けるキャリアが用意されていた。オーディオは専用品で、車速に応じて音量が自動調整される「スカイサウンドシステム」が装備されている。
1991年8月5日に死去した本田宗一郎も、同年5月15日の発表会に出席しており、本田が生前最後に見送った四輪車となった。[7]
2010年5月9日には、ツインリンクもてぎで開催されたオーナーミーティングのオーバルコースにおいて行われたパレードランに569台が参加した。これはホンダの同一車種による世界最大のパレードランとなり、ギネス・ワールド・レコーズに認定された。販売から30年以上経過した2022年現在においても、およそ1万5,000台あまりが現存しているという。
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オープン状態、フロント(ホンダコレクションホール所蔵車)
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オープン状態、リア
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トランクルーム
搭載エンジン
編集初代 PP1型(1991年 - 1996年)
編集- 1991年5月15日 - 発表された(発売は翌5月16日)[8]。月販目標3,000台。発売当時のCMでは、サザンオールスターズのメンバーである原由子の楽曲「じんじん」がCMソングに起用された。
- 1992年
- 1993年12月 - 特別仕様「バージョンZ」を発売した。ボディーカラーは以前から存在した「ブレードシルバー・メタリック」に加え、「エバーグレイドグリーン・メタリック」が新たに追加された。また、メーターの文字盤が白から黒に変更されている。以降標準仕様化された。
- 1995年10月 - 生産終了[9]。
- 1996年12月 - 販売終了[10][11]。
- 2011年10月25日 - ホンダアクセスが発売20周年を記念したモデューロブランドのサスペンション、ギャザス(オーディオ)を限定販売した[12]。
- 2017年6月 - 一部純正部品の再生産・販売を開始[13]。
S660
編集2012年9月21日に行われた社長会見において、2015年までに軽自動車を6モデル追加すると発表され[14]、その中にオープンスポーツが含まれていることが公表された[注釈 1]。その後、この後継車種は、2011年の東京モーターショーに出品されたコンセプトカーの「EV STER」をベースにしたデザインが採用されると報道された[16][信頼性要検証]。
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EV STER(フロント)
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EV STER(リア)
2013年に開催された第43回東京モーターショーでは、次世代軽オープンスポーツモデルである「Honda S660 CONCEPT」が公開された[17]。その後、このモデルは「S660」として市販化され、2015年4月から2022年3月まで製造、販売された。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b デアゴスティーニ・ジャパン 2015, p. 3.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n デアゴスティーニ・ジャパン 2015, p. 4.
- ^ a b “主要諸元 | ビート(1996年終了モデル)”. 今まで販売したクルマ(中古車カタログ). 本田技研工業株式会社. 2020年10月31日閲覧。
- ^ “ボディ | BEAT 1991.05 | FACT BOOK”. プレスインフォメーション. 本田技研工業株式会社. 2009年8月22日閲覧。
- ^ 「THE SECRET STORY BETWEEN HONDA AND PININFARINA」『Car MAGAZINE』第33巻第3号、ネコ・パブリッシング、2011年2月、国立国会図書館サーチ:R100000002-I000000050838-i7196064。
- ^ 「ピニンファリーナ・ミトスを描いた男が語る、知られざるヒストリー」『SCUDERIA』第128号、ネコ・パブリッシング、2020年、国立国会図書館サーチ:R100000002-I000000097369-i10227875。
- ^ 『ニューモデル速報 第100弾 HONDAビートのすべて』 三栄書房 1991年6月
- ^ 『軽乗用車初の2シーター・ミッドシップ オープンカー ホンダ「ビート」を新発売』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、1991年5月15日 。2022年10月8日閲覧。
- ^ “ビート”. GAZOO. トヨタ自動車株式会社. 2020年1月23日閲覧。
- ^ “ビート(ホンダ)のカタログ”. カーセンサーnet. リクルート株式会社 (2020年1月23日). 2020年1月23日閲覧。
- ^ “ビート(1996年終了モデル)”. 今まで販売したクルマ(中古車カタログ). 本田技研工業株式会社. 2018年11月18日閲覧。
- ^ “発売20周年記念「ビート」専用純正アクセサリー”. 本田技研工業株式会社. 2011年10月29日閲覧。
- ^ “「ビート」純正部品特設ページ”. 本田技研工業株式会社. 2018年3月17日閲覧。
- ^ 『2012年9月 社長会見 骨子』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2012年9月21日 。2013年5月2日閲覧。
- ^ 『2012年、社長記者会見』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2012年9月21日。オリジナルの2013年6月28日時点におけるアーカイブ 。2013年5月2日閲覧。
- ^ “次期ビート2014年発売、EVスターのエクステリアデザインをそのまま採用”. 自動車リサーチ (2012年10月25日). 2013年5月2日閲覧。
- ^ 『第43回東京モーターショー」 Hondaブース出展概要について ~Honda独創のモビリティコンセプトモデルを出展~』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2013年10月23日 。2013年10月23日閲覧。
参考文献
編集- 『週刊日本の名車』77号、デアゴスティーニ・ジャパン、2015年7月。全国書誌番号:027095953。