ホワイトヘッド魚雷(ホワイトヘッドぎょらい)とは、自走式もしくは「機関式」として最初に開発された魚雷である。この機械は、オーストリア=ハンガリー帝国海軍ジョバンニ・ルピス英語版がデザインを考察し、ロバート・ホワイトヘッド英語版により1866年に完成した。多数の海軍機関が1870年代にホワイトヘッド魚雷を入手し、その中にはアメリカ海軍が含まれる[3]。この初期の魚雷は露土戦争の戦闘で試され、1878年1月16日にオスマン帝国汽船「インティバー (Intibah)」は、ロシア帝国海軍の水雷艇が装備したホワイトヘッド魚雷によって撃沈された[5][9]

ホワイトヘッド魚雷
ホワイトヘッド魚雷の機構。1891年公表。
種類 対水上艦艇用魚雷[1]
原開発国 オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国
運用史
配備期間

1894年から1922年(マーク1およびマーク2)
1898年から1922年 (マーク3)
1910年から1922年(マーク5)

  • アメリカ海軍が運用[1]
配備先  イギリス海軍[2]
 ドイツ帝国海軍[3]
 フランス海軍[3]
 オーストリア=ハンガリー帝国海軍[3]
 イタリア王立海軍[3]
 ロシア帝国海軍[3]
 アルゼンチン海軍[3]
 ベルギー海軍[3]
 デンマーク海軍[3]
 ギリシャ海軍[3]
 ポルトガル海軍[3]
 チリ海軍[3]
 ノルウェー海軍[3]
 スウェーデン海軍[3]
 アメリカ海軍[4]
関連戦争・紛争 露土戦争 (1877年-1878年)[5]
チリ内戦[6]
開発史
開発者 ロバート・ホワイトヘッド
開発期間 1866年[2]
製造業者 「スタビリメント・テクニコ・フィウマーノ」[7]
トルペードファブリーク ホワイトヘッド& Co.[7]
王立研究所
E・W・ブリス・カンパニー
派生型 ホワイトヘッド マーク1魚雷[8]
ホワイトヘッド マーク1B魚雷[8]
ホワイトヘッド マーク2魚雷[8]
ホワイトヘッド マーク2(タイプC)魚雷[8]
ホワイトヘッド マーク3魚雷 タイプA[8]
ホワイトヘッド マーク5魚雷[1]
諸元
重量 383.29kg (Mk 1)[1]
全長 355.6cm (Mk 1)[1]
直径 45cm (Mk 1)[1]

有効射程 731.52m (Mk 1)[1]
射程 731.52m (Mk 1)[1]
弾頭 湿潤ニトロセルロース[1]
炸薬量 53.52kg (Mk 1)[1]
信管 信管マーク1、着発[1]

エンジン 3気筒レシプロ機関[1]
誘導方式 水圧制御、ジャイロスコープ[1]
発射
プラットフォーム
戦艦水雷艇、および潜水艦[1]
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歴史

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へこんだ試験魚雷とロバート・ホワイトヘッド(右側)。左側の人物は彼の息子ジョン。フィウメ、1875年ごろ
 
アルゼンチン軍の水兵とホワイトヘッド魚雷。フィウメ、1888年。

19世紀中、オーストリア海軍砲科のある無名士官が、爆発物を載せた小型艇を用いるという概念を思いついた。この艇は蒸気機関もしくは圧縮空気による機関で自走し、ケーブルによって舵を取り、敵艦船に対して投入する物だった。彼の死に際し、その試案はジョバンニ・ルピス大佐の手に入った。ルピスは装置の模型を製作しており、それはスプリング動力で駆動する自動式機構を備え、陸上からケーブルによって操舵されるものだった。機械は不満足な物で、ルピスはこれを「コースト・セイバー」と呼んでいた[10]。ルピスはオーストリアフィウメにあった工場「スタビリメント・テクニコ・フィウマーノ」のために働いていたロバート・ホワイトヘッドを頼った[3]。1850年頃、オーストリア海軍はホワイトヘッドに対し、この設計を水線下を自走する魚雷として開発するよう依頼した。

ホワイトヘッドは自身では「Minenschiff」ミーネンシフ、機雷船と呼んだものを開発した。これは全長335.28cm、直径35.56cmの魚雷で、圧縮空気によって推進し、炸薬を充填した弾頭を搭載しており、雷速は13km/hを発揮した。また640m離れた目標に命中する能力があった[10]。1868年、ホワイトヘッドは自身の魚雷が持つ安定性の問題について、振り子およびハイドロスタット制御という解決法を導入した。これは深度による水圧変動をフイゴ様の装置で検知すると同時に、魚雷のピッチ変動を振り子で検出し、この変動を操舵ロッドに加えて魚雷の深度を維持するシステムである[11]。1869年、オーストリア海軍はホワイトヘッド魚雷の製造権を購入した[4]。1870年までに、ホワイトヘッドの魚雷は17ノットで航走するようになっていた。しかし未だに進路を適正に保つ問題が残っていた。風や波の働きによって進路がそれた後、魚雷を正しい進路に戻すことである。解決はルートヴィヒ・オプリーが特許を持っていたジャイロスコープのギア形状にあり、ホワイトヘッドは1896年に権利を購入した[12]

1877年5月29日にイギリスのフリゲート「Shah」がペルーの反乱装甲艦「ワスカル」に対してホワイトヘッド魚雷を発射しており、これが実戦で最初にホワイトヘッド魚雷が使用された事例である[13]

設計

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アメリカ海軍が1898年に出版した『The Whitehead Torpedo』マニュアルに描かれた、ホワイトヘッド魚雷の一般的な形状。A、弾頭。B、気室。B'、浸水区画。CC'、胴部。C、機関室。DDDD、排水孔。E、シャフトチューブ。F、操舵機構。G、傘歯ギアボックス。H、深度検出器。I、尾部。K、充填および停止バルブ群。L、固定ギア。M、エンジンの台板。P、雷管ケース。R、舵。S、操舵ロッド・チューブ。T、導子。UU、プロペラ。V.バルブ群。W、信管。Z、補強帯
 
イーストドックからホワイトヘッド マーク3魚雷を射出。ロードアイランドのニューポート魚雷局、1894年。

1868年、ホワイトヘッドは2種類の魚雷を世界各国の海軍に向けて提示した。一種は全長353cm、直径は35.56cmだった。重量は156.94kgであり、また18.14kgの弾頭を装着した。もう一種は全長426.72cmで直径が40.64cmだった。自重は294.83kg、また27.21kgの弾頭を装備した。両方のモデルとも約182mの射程で雷速14.82km/hから18.52km/hを発揮した。

1892年、アメリカ海軍は、アメリカ企業「E・W・ブリス・カンパニー」が製造権を確保した後、ホワイトヘッド魚雷の運用を開始した[4]。アメリカ海軍向けに製造されたホワイトヘッド魚雷は4つの部分に分割されている。頭部、気室、胴部、尾部である。頭部はニトロセルロースの炸薬を収容している。気室は圧縮空気を内蔵し、容量は1,350ポンド/1平方インチ、もしくは90気圧だった。胴部はエンジンおよび制御装置を収容し、またプロペラが尾部につけられた。気室は良く鍛えられた製である。魚雷の弾体の他の部品は薄い圧延鋼で作られた。内部の部品は普通、青銅で組み立てられていた。この魚雷は魚雷発射管を用い、水線よりも下もしくは上から撃ち出された。発射は空気や火薬による[14]

重要性

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1871年、イギリス海軍が魚雷の製造権を購入し、イングランドのウーリッジにある王立研究所で量産を開始した。イギリス海軍は、HMSホーランド1に続く自軍の最初期の潜水艦にホワイトヘッド魚雷を搭載した[2]。フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、清国の海軍もすぐに追随して配備を行い、ホワイトヘッド魚雷の導入を開始した。1877年までに、ホワイトヘッド魚雷は最大射程830ヤード(760m)と雷速18マイル(29km/h)を達成した。

露土戦争中の1878年ロシア帝国海軍マカロフ大尉指揮下の艦載水雷艇が、イギリスから輸入したホワイトヘッド魚雷を使用してオスマン帝国海軍砲艦を撃沈し、これが史上初の魚雷による戦果となった[15]。1880年代までに、世界の海軍の多くがホワイトヘッド魚雷を入手し、この兵器を戦闘に投入するべく水雷艇の配備を開始した。また技術者達はホワイトヘッド魚雷で武装した潜水艦を構想し始めた。1904年、イギリス軍のヘンリー・ジョン・メイ提督は「ホワイトヘッドがなければ、潜水艦は単なる面白いおもちゃに過ぎなかっただろう。」と述べている[2][5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n Torpedo History: Whitehead Torpedo Mk1”. 2013年5月28日閲覧。
  2. ^ a b c d Curator's Choice: Whitehead Torpedo”. 2013年5月31日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Torpedo History: Historical Background”. 2013年6月1日閲覧。
  4. ^ a b c Artifact Spotlight: Whitehead torpedo”. 8 December 2012閲覧。
  5. ^ a b c Delgado, James P. (2011). Silent Killers: Submarines and Underwater Warfare. Osprey Publishing. pp. 74. ISBN 978-1-84908-365-2 
  6. ^ Newpower, Anthony (2006). Iron Men And Tin Fish: The Race to Build a Better Torpedo During World War II. Greenwood Publishing Group. pp. 15. ISBN 0-275-99032-X. https://books.google.com.ph/books?id=eFZb_BqP10UC&pg=PA15&lpg=PA15&dq=1891+chilean+civil+war+whitehead&source=bl&ots=H_Irpaif2j&sig=gJrhSoeRaF5k3jJebC8h9j19Bbw&hl=en&sa=X&ei=aI6xUZyCEcyIiQf1lICIDA&ved=0CEQQ6AEwBQ#v=onepage&q=1891%20chilean%20civil%20war%20whitehead&f=false 
  7. ^ a b Chronology: Torpedo in Word and Picture”. 2013年6月8日閲覧。
  8. ^ a b c d e Silverstone, Paul (2006). The New Navy, 1883-1922. Taylor & Francis Group. pp. xxiii. ISBN 0-415-97871-8. https://books.google.com.ph/books?id=5AoHOUZ0KzYC&pg=PR23&lpg=PR23&dq=Whitehead+mk+1&source=bl&ots=AbvTPxughx&sig=Bvds0YPquDUMtSY4XlAwHcp9WHs&hl=en&sa=X&ei=wbuyUajaKuO1iAeEwICgDA&ved=0CFYQ6AEwCA#v=onepage&q=Whitehead%20mk%201&f=false 
  9. ^ Torpedo, p. 171によれば攻撃は1月25日で、沈められたのは国税庁の汽船「Intikbah」
  10. ^ a b Robert Whitehead - a Brief History”. 8 December 2012閲覧。
  11. ^ US NAVY TORPEDOES”. 2009年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。24 March 2014閲覧。
  12. ^ Stein, Stephen K. (2007). From Torpedoes to Aviation:Washington Irving Chambers & Technological Innovation in the New Navy 1876 to 1913. University of Alabama Press. pp. 123. ISBN 0-8173-1564-0. https://books.google.com.ph/books?id=ZRG9ghlHR1QC&pg=PA123&lpg=PA123&dq=Ludwig+Obry&source=bl&ots=agm2rI3ACI&sig=iFj-lPy3ESSwYQZu1-5KpbVoXpU&hl=en&sa=X&ei=uy2kUf23Jcn3rQfKp4GgCA&ved=0CF4Q6AEwCQ#v=onepage&q=Ludwig%20Obry&f=false 
  13. ^ Torpedo, p. 170
  14. ^ The Whitehead Torpedo:. Bureau of Ordnance, United States Navy. (1898). http://hnsa.org/doc/whitehead/ 
  15. ^ Polutov, Andrey V.「ソ連/ロシア駆逐艦建造史 (第1回)」『世界の艦船』第755号、海人社、2012年2月、187-193頁、NAID 40019142092 

参考文献

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  • Roger Branfill-Cook, Torpedo: The Complete History of the World s Most Revolutionary Naval Weapon, Seaforth Publishing, 2014, ISBN 978-1-84832-215-8

関連項目

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