ベルンハルト・ツア・リッペ
ベルンハルト・ツア・リッペ(Bernhard Prinz zur Lippe, 1872年8月26日 - 1934年6月19日)は、ドイツの諸侯リッペ侯家の侯子で、プロイセンの軍人。最後のリッペ侯レオポルト4世の弟。
ベルンハルト Bernhard | |
---|---|
リッペ=ビースターフェルト家 | |
リッペ侯子ベルンハルト、1909年頃 | |
全名 |
一覧参照
|
出生 |
1872年8月26日 ドイツ帝国 プロイセン王国、ボン、オーバーカッセル |
死去 |
1934年6月19日(61歳没) ドイツ国、ミュンヘン |
配偶者 | アルムガルト・フォン・クラム |
子女 |
ベルンハルト アシュヴィン |
父親 | エルンスト・ツア・リッペ=ビースターフェルト |
母親 | カロリーネ・フォン・ヴァルテンスレーベン |
生涯
編集リッペ=ビースターフェルト伯家家長エルンストとその妻のヴァルテンスレーベン女伯カロリーネ[注釈 1]の間の第3子、次男として生まれた。全名はベルンハルト・カジミール・ヴィルヘルム・フリードリヒ・グスタフ・ハインリヒ・エドゥアルト(Bernhard Kasimir Wilhelm Friedrich Gustav Heinrich Eduard)である。
プロイセン陸軍に仕官し、最終階級は陸軍少将に至った。出生時の称号はリッペ=ビースターフェルト伯だったが、1905年に兄レオポルトがリッペ侯に即位したのに伴い、リッペ侯子に昇格した。
パーダーボルン駐屯の第8驃騎兵連隊に所属していた際、同僚ボード・フォン・エインハウゼン伯爵の妻アルムガルトと恋仲になり、アルムガルトは夫と離婚した。1909年3月4日、エルバーにおいてアルムガルトと結婚し、間に2人の息子をもうけた。この結婚はリッペ侯家の家憲により貴賤結婚とされ、妻子はビースターフェルト伯爵(夫人)の称号を認められるに留まった。
1916年2月24日、兄レオポルト4世の裁可により、ベルンハルトの婚姻は対等結婚として追認され、妻子にはリッペ=ビースターフェルト侯子(侯女)の称号と諸侯家の殿下(Durchlaucht)の敬称が認められた[1]。2人の息子たちは、リッペ侯位継承権において最下位にあったが、この時の措置に伴って父に次ぐ順位に進んだ[2]。
子女
編集妻との間に2人の息子をもうけた。
- ベルンハルト・レオポルト・フリードリヒ・エーバーハルト・ユリウス・クルト・カール・ゴットフリート・ペーター(1911年 - 2004年) - 1937年、オランダ女王ユリアナと結婚
- エルンスト・アシュヴィン・ゲオルク・カール・ハインリヒ・イグナツ(1914年 - 1988年) - 1951年、シモーヌ・アルヌーと結婚
-
長男を連れたベルンハルト(1914年)
脚注
編集注釈
編集出典
編集外部リンク
編集ウィキメディア・コモンズには、ベルンハルト・ツア・リッペに関するカテゴリがあります。