ベルネー
フランスのコミューン
ベルネー (Bernay)は、フランス、ノルマンディー地域圏、ウール県のコミューン。
Bernay | |
---|---|
| |
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ノルマンディー地域圏 |
県 (département) | ウール県 |
郡 (arrondissement) | ベルネー郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 27056 |
郵便番号 | 27300 |
市長(任期) |
エルヴェ・モーレ (2009年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes de Bernay et ses environs |
人口動態 | |
人口 |
10,449人 (2010年) |
人口密度 | 458.8人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯49度05分22秒 東経0度35分57秒 / 北緯49.0894444444度 東経0.599166666667度座標: 北緯49度05分22秒 東経0度35分57秒 / 北緯49.0894444444度 東経0.599166666667度 |
標高 |
最低:87m 最高:173m |
面積 | 24.03km2 (2 403ha) |
公式サイト | ville-bernay |
地理
編集県西部に位置し、県都エヴルーから50km離れている。コミューン内にはリル川の支流シャラントンヌ川が流れる。
由来
編集ベルネーという地名は、『湿地のような』『泥のような』を意味するケルト語のbrin/brenに、場所を意味する-acmを接尾辞としてつけた名称に由来すると考えられている。
歴史
編集996年から1008年の間、ノルマンディー公リシャール2世は、妃ジュディット・ド・ブルターニュの持参金としてベルネーの地を受け取った。ブルターニュ公コナン1世の娘であるジュディットは、ベルネーにベネディクト会派のベルネー修道院を建立した。修道士たちは下水処理施設、製粉所、漁場を整備した。そしてノルマンディーにあるロマネスク様式の宝石と称えられる修道院建物もである。
1198年から商業が行われていたことが伝わっている。織物産業が知られ、見本市が数多く開かれた。ベルネー周辺は農産物が多様で豊かな土地柄であったためである。ベルネーでは毎週土曜日に大きな市場も開かれていた。13世紀からある『クチュールの聖母』への崇敬には、ノルマンディー各地から大勢の巡礼が集まったという。
19世紀の間、主要道が改善されベルネーの現代化が進んだ。産業構造の現代化は、コミューンの中心部から外へ向かった。この発展は20世紀に新たな産業が導入されても続き、丘の上にある歴史ある中心部から見下ろす場所に伸びていった。
第二次世界大戦中の1944年8月、カナダ軍がベルネーの空爆を計画したが、当日町は厚い雲に覆われていたため決行されず、ベルネーの歴史ある中心部が守られた。
姉妹都市
編集出身者
編集- オギュスト・ル・プレヴォスト(1787年 - 1859年) - 歴史学者
- ロベール・リンド(1746年 - 1825年) - 政治家