ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス (第4代ランズダウン侯爵)
第4代ランズダウン侯爵ヘンリー・トマス・ペティ=フィッツモーリス(英語: Henry Thomas Petty-Fitzmaurice, 4th Marquess of Lansdowne, KG、1816年1月7日 - 1866年7月5日)は、イギリスの貴族、政治家。
第4代ランズダウン侯爵 ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス Henry Petty-Fitzmaurice, 4th Marquess of Lansdowne | |
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生年月日 | 1816年1月7日 |
出生地 | イギリス、イングランド・ロンドン・バークレー広場・ランズダウン・ハウス |
没年月日 | 1866年7月5日(50歳没) |
死没地 | イギリス、イングランド・ロンドン・バークレー広場・ランズダウン・ハウス |
出身校 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ |
所属政党 | ホイッグ党(自由党) |
称号 | 第4代ランズダウン侯爵、ガーター勲章勲爵士(KG) |
配偶者 |
(1)ジョージアナ(旧姓ハーバート) (2)エミリー(旧姓ド・フラオー)(8代ネアーン女卿) |
親族 | 初代ランズダウン侯爵(祖父)、第3代ランズダウン侯爵 (父)、第2代イルチェスター伯爵(祖父)、第3代イルチェスター伯爵(叔父)、第4代イルチェスター伯爵(叔父)、第5代ランズダウン侯爵(長男)、初代フィッツモーリス男爵(次男)、第11代ペンブルック伯爵(先妻の父)、タレーラン(後妻の祖父)、シャルル・ド・モルニー(後妻の兄) |
内閣 | 第2次パーマストン子爵内閣 |
在任期間 | 1856年7月5日 - 1858年2月26日 |
庶民院議員 | |
選挙区 | キャルネ選挙区 |
在任期間 | 1837年7月24日 - 1856年7月8日[1] |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1856年7月14日 - 1866年7月5日[1] |
1837年から議会入りし、ホイッグ党(自由党)の政治家として同党政権下で外務政務次官などの政府役職を務めた
生誕から兄が死去する1836年まで侯爵家のヤンガーサンとして卿(Lord)の儀礼称号で称され、1836年から襲爵する1863年までは法定推定相続人としてシェルバーン伯(Earl of Shelburne)の儀礼称号で称された。
経歴
編集1816年1月7日に第3代ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスとその妻ルイーザ(第2代イルチェスター伯爵ヘンリー・フォックス=ストラングウェイズの娘)の間の次男としてロンドン・バークレー広場のランズダウン侯爵邸ランズダウン・ハウスに生まれた[2][3]。兄にケリー伯爵(儀礼称号)ウィリアム・ペティ=フィッツモーリスがいる[3]。
ウェストミンスター・スクールを経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進学[2]。1836年に兄のケリー伯ウィリアムが男子なく死去したため、代わってランズダウン侯爵家の法定推定相続人となり、シェルバーン伯爵の儀礼称号を称するようになった[2]。
1837年からキャルネ選挙区から選出されてホイッグ党(後の自由党)の庶民院議員となる[2][3]。
1847年から1848年にかけてはホイッグ党政権の第一次ラッセル内閣で下級大蔵卿を務めた[2][3]。ついで1856年から1858年にかけては自由党政権の第2次パーマストン内閣で外務政務次官を務めた[2][3]。
1856年7月にはいまだ父が存命ながら繰上勅書により第4代ウィコム男爵を襲爵して貴族院議員に転じた[2][3][1]。
1863年1月には父の死により第4代ランズダウン侯爵位を継承し、1864年にはガーター勲章を受勲したが、1866年7月5日にランズダウン・ハウスにおいて死去した。爵位は長男ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスが継承した[2][3]。
栄典
編集爵位
編集1856年7月14日の繰上勅書により父ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスから以下の爵位を継承した[2][3]。
- バッキンガム州におけるチッピング・ウィコムの第5代ウィコム男爵 (5th Baron Wycombe, of Chipping Wycombe in the County of Buckingham)
- (1760年5月17日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
1863年1月31日に父ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスの死去により以下の爵位を継承した[2][3]。
- サマセット州における第4代ランズダウン侯爵 (4th Marquess of Lansdowne, in the County of Somerset)
- 第5代ケリー伯爵 (5th Earl of Kerry)
- ウェックスフォード県における第5代シェルバーン伯爵 (5th Earl of Shelburne, in the County of Wexford)
- バッキンガム州におけるチッピング・ウィコムの第4代ウィコム伯爵 (4th Earl Wycombe, of Chipping Wycombe in the County of Buckingham)
- (1784年12月6日の勅許状によるグレートブリテン貴族)
- 第5代クランモーリス子爵 (5th Viscount Clanmaurice)
- (1722年1月17日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
- 第5代フィッツモーリス子爵 (5th Viscount Fitzmaurice)
- 第4代キャルネ=キャルストン子爵 (4th Viscount Calne and Calston)
- (1784年12月6日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- 第25代ケリー=リックナウ男爵 (25th Baron of Kerry and Lixnaw)
- (1223年頃創設アイルランド貴族爵位)
- 第5代ダンケロン男爵 (5th Baron Dunkeron)
- (1751年10月7日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
勲章
編集家族
編集1840年8月18日に第11代ペンブルック伯爵ジョージ・ハーバートの娘ジョージアナと最初の結婚をしたが、翌1841年に死別した[3]。
ついでフランス軍大将ド・フラオー・ド・ラ・ビヤールドゥリー伯爵(Comte de Flahault de la Billardrie)オーギュスト・シャルル・ジョゼフ・ド・フラオー(ナポレオン帝政や復古王政のフランス外相シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールの息子)の娘エミリー・ジェーン・マーサー・エルフィンストン・ド・フラオー(Emily Jane Mercer Elphinstone de Flahault, 1819-1895)と結婚した[2][3]。このエミリーはスコットランド貴族第2代ネアーン卿ウィリアム・マリーの来孫にあたり(第2代ネアーン卿の次男ロバートの次男ウィリアム・マーサーの娘ジェーン・マーサーの娘マーガレット・マーサー・エルフィンストンの娘がエミリー)、そのため1874年8月4日の貴族院決議によってエミリーが第8代ネアーン女卿と認められている(彼女の死後ネアーン卿位は5代から7代までのランズダウン侯爵によって継承され、その後は女系継承でマージー子爵ビンガム家に継承されて2016年現在に至っている)[4]。エミリーとの間に以下の2男1女を儲けた[2][3]。
- 長男ヘンリー・チャールズ・キース・ペティ=フィッツモーリス (Henry Charles Keith Petty-FitzMaurice, 1845-1927) 政治家。父から第5代ランズダウン侯爵位、母から第9代ネアーン卿位を継承
- 次男エドモンド・ジョージ・ペティ=フィッツモーリス (Edmond George Patty-FitzMaurice, 1846-1935) 政治家。初代フィッツモーリス男爵に叙される
- 長女エミリー・ルイーザ・フィッツモーリス (Emily Louisa Anne FitzMaurice, -1939) 陸軍軍人エバラード・ディグビー大佐と結婚
脚注
編集出典
編集- ^ a b c UK Parliament. “Earl of Shelburne” (英語). HANSARD 1803-2005. 2016年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m Lundy, Darryl. “Henry Petty-FitzMaurice, 4th Marquess of Lansdowne” (英語). thepeerage.com. 2016年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m Heraldic Media Limited. “Lansdowne, Marquess of (GB, 1784)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年7月22日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Nairne, Lord (S, 1681)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年9月1日閲覧。
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Marquess of Lansdowne
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ジョン・フォックス=ストラングウェイズ |
キャルネ選挙区選出庶民院議員 1837年–1856年 |
次代 サー・ウィリアム・ウィリアムズ準男爵 |
公職 | ||
先代 エブリントン子爵 |
下級大蔵卿 1847年–1848年 |
次代 無し |
先代 第3代ウッドハウス男爵 |
外務政務次官 1856年–1858年 |
次代 ウィリアム・ヴィーゼイ=フィッツジェラルド |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス |
第4代ランズダウン侯爵 1863年–1866年 |
次代 ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス |
第5代ウィコム男爵 (繰上勅書により父存命中に襲爵) 1856年–1866年 |