ヘンリー・ウェルズリー (第6代ウェリントン公爵)
第6代ウェリントン公爵ヘンリー・ヴァレリアン・ジョージ・ウェルズリー(Henry Valerian George Wellesley, 6th Duke of Wellington、1912年7月14日 – 1943年9月16日)は、イギリスの貴族、陸軍の軍人。サレルノへの上陸作戦であるアヴァランチ作戦で戦死した。1941年までモーニントン伯爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
編集第5代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーと妻リリアン・モード・グレン(Lilian Maud Glen、1946年5月3日没、初代グレンタナー男爵ジョージ・コーツの娘)の息子として、1912年7月14日に生まれた[1]。ストー・スクールで教育を受けた[1]。
1933年10月14日、予備役の少尉としてイギリス陸軍のコールドストリームガーズに入隊した[2]。1935年11月13日にウェリントン公爵連隊に転じ、正規軍の少尉となった[3]。1938年11月13日、中尉に昇進した[4]。1939年2月26日に隊外勤務を命じられ、植民地省配属となった[5](以降1942年まで配属[1])。
1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、第2コマンド部隊に配属されて東アフリカ戦線に参戦した[1]。
1941年12月11日に父が死去すると、ウェリントン公爵位を継承した[1]。
1943年9月16日、サレルノへの上陸作戦であるアヴァランチ作戦で戦死、近くの墓地に埋葬された[1]。生涯未婚であり、姉アン・モードがシウダ・ロドリゴ公爵位を、叔父ジェラルドがそれ以外の爵位を継承した[1]。
出典
編集- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1959). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Tracton to Zouche) (英語). Vol. 12.2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 461.
- ^ "No. 33986". The London Gazette (英語). 13 October 1933. p. 6612.
- ^ "No. 34224". The London Gazette (英語). 29 November 1935. p. 7580.
- ^ "No. 34570". The London Gazette (英語). 15 November 1938. p. 7191.
- ^ "No. 34609". The London Gazette (英語). 21 March 1939. p. 1929.
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Henry Wellesley
- ヘンリー・ウェルズリー - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
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