ヘルマン・ヘルツォーク
ヘルマン・オットマール・ヘルツォーク(Hermann Ottomar Herzog、1832年11月15日 - 1932年2月6日)は現在のドイツ・ブレーメンに生まれ、後にアメリカ合衆国に帰化した画家である。各国を旅し、風景画を多く描いた。
ヘルマン・ヘルツォーク Hermann Herzog | |
---|---|
生誕 |
1832年11月15日 自由ハンザ都市ブレーメン |
死没 |
1932年2月6日 アメリカ合衆国, フィラデルフィア |
略歴
編集ブレーメンで生まれた。1850年頃から、デュッセルドルフ美術アカデミーで学び、当時有名な風景画家のアンドレアス・アッヒェンバッハ(1815-1910)やハンス・ギューデ(1825-1903)の画塾でも学んだ。10年ほどノルウェー、イタリアなどヨーロッパの各地を訪れ、風景画を描いた。1854年からデュッセルドルフの美術家協会、「Malkasten」の会員になった。1860年代になってアメリカを訪れ、1869年からアメリカに定住し、後に市民権を得た。鉄道会社に投資をして、裕福になった。アメリカでは東部の海岸の風景や ヨセミテなどの風景を描いた。
アメリカで暮らすようになってからも、イギリス王室のメンバーやドイツ、ロシアの顧客に絵を売るために、ヨーロッパに戻り、何度か、オランダ、ベルギーを訪れ海岸の風景を描いた。
99歳でフィラデルフィアで亡くなるまで、1000点以上の作品を残した。息子のLewis Edward Herzogも画家になった。
作品
編集-
ルツェルン湖(スイス) (1882)
-
マウント・デザート島(メイン州)の海岸
-
「漁の風景」
-
「オランダの冬の朝」
-
「夕暮れの散歩道」
参考文献
編集- Anette Stott (red): Dutch Utopia. Amerikaanse kunstenaars in Nederland 1880-1914. Uitgeverij Thoth Bussum, 2010, blz. 140-141. ISBN 978-90-6868-548-0