ブロッケス受難曲 (ヘンデル)

ブロッケス受難曲』(ブロッケスじゅなんきょく、Brockes-Passion)HWV 48は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが1710年代後半に作曲したドイツ語受難オラトリオ。ヘンデルが作曲した唯一の受難曲である[1]

イギリスに移住した後、ヘンデルは主にイタリア語英語のテクストに作曲した。ドイツ語の曲は大変めずらしい。

正式な題は『世の罪のために苦しみ死にたまいしイエス』(Der für die Sünde der Welt gemarterte und sterbende Jesus) という。

概要

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『ブロッケス受難曲』のテクストはバルトルト・ハインリヒ・ブロッケス英語版によって書かれた。受難曲は本来福音書の記述をそのままテクストとするが、ブロッケス受難曲では4つの福音書をひとつにまとめ、韻文に直している。このため記述の大枠は福音書と一致するが、本来の福音書の言葉がそのまま使われているわけではない。また人物として福音書に登場しない「シオンの娘」(Tochter Zion) と「信じる魂」(Gläubige Seele) がつけ加えられている[2]

『ブロッケス受難曲』は、最初ラインハルト・カイザーによって1712年に作曲された。ヘンデルはハンブルク時代にカイザーの強い影響を受けている。また、ヘンデルとは友人関係にあったテレマンは1716年に、ヨハン・マッテゾンは1718年に『ブロッケス受難曲』を作曲している[2][3]

ヘンデルの『ブロッケス受難曲』の自筆原稿は失われており、いつどのような事情で書かれたのか明らかでない。マッテゾンによると、ヘンデルはこの曲をイギリスで書き、スコアをドイツのマッテゾンのもとに郵送してきたという[4]。1719年3月23日にハンブルクで上演された記録がある[5]

テレマンはヘンデル版の『ブロッケス受難曲』を1722年に演奏している。ヨハン・ゼバスティアン・バッハアンナ・マクダレーナとともにこの曲を完全に筆写している(ベルリン州立図書館所蔵)[4][6]

ヘンデルの初期の曲の多くがそうであるように、『ブロッケス受難曲』の中の曲は後にヘンデルの他の作品に転用された。仮面劇エステル』には『ブロッケス受難曲』の曲が転用され、後に同曲を改作してオラトリオ『エステル』を作ったときにも『ブロッケス受難曲』の曲が利用された[7]。オラトリオ『デボラ』 にも転用された[8]

脚注

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  1. ^ かつてハンブルク時代に『ヨハネ受難曲』が書かれたと考えられていたが、現在この曲はラインハルト・カイザーの作品と考えられている。ホグウッド(1991) p.44
  2. ^ a b 木村(2008) p.31
  3. ^ 渡部(1966) p.57
  4. ^ a b ホグウッド(1991) p.121
  5. ^ ホグウッド(1991) p.120
  6. ^ 渡部(1966) pp.57-58
  7. ^ 渡部(1966) pp.180-181
  8. ^ ホグウッド(1991) pp.190-191

参考文献

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  • 木村佐千子「受難曲の歴史:ドイツ語圏を中心に」『獨協大学ドイツ学研究』第59巻、2008年、1-43頁。 
  • クリストファー・ホグウッド 著、三澤寿喜 訳『ヘンデル』東京書籍、1991年。ISBN 4487760798 
  • 渡部恵一郎『ヘンデル』音楽之友社〈大作曲家 人と作品 15〉、1966年。ISBN 4276220157 

外部リンク

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