ブルーフラールは、日本競走馬である。1985年中山大障害(春)に優勝した。

ブルーフラール
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1980年4月8日
死没 不明(1995年7月以降)
ノーザンネイティヴ
クリムード
生国 日本の旗 日本
生産者 ユートピア牧場
馬主 栗林英雄
調教師 橋口弘次郎栗東
→大久保勝之(美浦
競走成績
生涯成績 平地12戦1勝
障害22戦4勝
獲得賞金 平地2390万円
障害4460万円
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経歴

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初出走から1984年まで

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1982年9月に阪神競馬場で初出走を行い、1着のカツラギエースから3.6秒差の13着に敗れたが、3戦目で初勝利を挙げた。その後は芝短距離を中心に9戦したが4着が最高であり、最後の平地出走となった1983年10月の400万以下競走では21頭立ての最下位に沈んだ。その後栗東の橋口厩舎から美浦の大久保勝之厩舎に転厩。翌年より障害競走に転向した。

1984年3月に中山競馬場の障害未勝利で障害戦初出走。14頭立ての最低人気だったが、レースではスガノキングに半馬身差で勝利。単勝273倍の高配当となった。続く障害400万以下でも10頭立ての9番人気ながら2着に1馬身半の差をつけて連勝した。オープン入り後4戦は、2度最下位となるなど振るわず、[1]続いて出走した秋の東京障害特別は中段後方から直線やや伸びて4着。中山大障害は中段につけたが、最後伸びを欠いて優勝したライバコウハクから2.6秒差の5着となった。[2]

1985年以降

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年が明けて1985年1月の障害勝入では9頭立ての7番人気だったがピーチシャダイから0.1秒差の2着と好走。メジロアンタレスシノンシンボリオキノサキガケなどの有力馬に先着した。続く東京障害特別(春)では道中先行から襷を過ぎて一旦先頭に立ち、その後先に抜け出したピーチシャダイからアタマ差の2着となった。そして3月の障害オープンでオキノサキガケにハナ差凌いでオープン初勝利を挙げた。

春の中山大障害は10頭立てで行われ、レースはまず単勝1.6倍の圧倒的1番人気ライバコウハクが逃げ、2番手ブルーフラール、そしてメジロアンタレス、ピーチシャダイの順で進んだ。そして大竹柵でまずライバコウハクが躓いたが、体勢を立て直し、続く3頭も飛越。しかしその後方にいたバウンスポート、ナックルフォンテン、エイティレオ、ダイナドルフィンの4頭が人馬転倒し、オキノサキガケ、スマッシングダイナも躓いて騎手が落馬、全て競走を中止した。残った4頭のうちブルーフラールはいったん最後方に下がったが、大土塁を越えて徐々に進出し、直線を向いて逃げていたライバコウハクをかわし、半馬身の差をつけて優勝した。牝馬としては1972年秋のマスヒロ以来13年ぶりの優勝となった。

その後は成績が低迷し、秋の大障害は後方から伸び切れず5着、1986年の東京障害特別(春)は優勝したハクホウダンディから9.9秒差の6着、中山大障害(春)も完走馬としては最下位の6着と大敗し、5月の障害勝入で4戦連続となる6着に敗れ、これを最後に引退した。

翌年より繁殖入りしたが、初仔のブルーカナリア(父ターゴワイズ)が1勝したのみで、活躍馬を出すことはなかった。1995年7月をもって転売不明となっている。

血統表

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ブルーフラール血統ニアークティック系/Mahmoud 4x4=12.50%) (血統表の出典)

*ノーザンネイティヴ
Northern Native
1966 青鹿毛 カナダ
父の父
Nearctic
1954 青鹿毛 カナダ
Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
父の母
Natalma
1957 鹿毛 アメリカ
Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator

クリムード
1975 栗毛 日本
*ダデイダンフイ
Daddy Dunphy
1965 鹿毛 アメリカ
Cohoes Mahmoud
Belle Of Troy
Feria Toulouse Lautrec
Feira De Rio
母の母
クリゲン
1959 栗毛 日本
クリノハナ *プリメロ
オーヒカリ
クリノツキ *グレイロード
テツバンザイ F-No.1-b


脚注

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  1. ^ 2回とも5頭立ての5着。
  2. ^ 7頭立てで行われ、全馬完走した。

外部リンク

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