ブライトン・シティ空港
ブライトン・シティ空港(ブライトン・シティくうこう、英語: Brighton City Airport)は英国ウェスト・サセックス州ランシングにある空港。ショアハム=バイ=シー近郊にあることからショアハム空港とも呼ばれている。1910年に開業したイギリスで最も古い空港の1つであり、現在も営業する民間空港の中では最も古い[3]。
ブライトン・シティ空港 Brighton City Airport | ||||||||||||||||
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IATA: ESH - ICAO: EGKA | ||||||||||||||||
概要 | ||||||||||||||||
国・地域 | イギリス | |||||||||||||||
所在地 | ウェスト・サセックス州ランシング | |||||||||||||||
母都市 |
ショアハム ブライトン・アンド・ホヴ ワージング | |||||||||||||||
種類 | 公共 | |||||||||||||||
所有者 | ブライトン・シティ空港株式会社 | |||||||||||||||
開港 | 1910年 | |||||||||||||||
ターミナル数 | 1 | |||||||||||||||
標高 | 2 m (7 ft) | |||||||||||||||
座標 | 北緯50度50分08秒 西経0度17分50秒 / 北緯50.83556度 西経0.29722度座標: 北緯50度50分08秒 西経0度17分50秒 / 北緯50.83556度 西経0.29722度 | |||||||||||||||
公式サイト | flybrighton.com | |||||||||||||||
地図 | ||||||||||||||||
空港の位置 | ||||||||||||||||
滑走路 | ||||||||||||||||
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統計(2020年) | ||||||||||||||||
発着回数 | 33,000回[1] | |||||||||||||||
リスト | ||||||||||||||||
空港の一覧 |
空港を運営するのはブライトン・シティ空港株式会社[4]。1930年代に建造されたアール・デコ調のターミナルは第2*級イギリス指定建造物に指定されている[5]。2021年現在定期便の運行はなく、ゼネラル・アビエーションにのみ用いられている。
歴史
編集1910年、ハロルド・ピファードによって初飛行が行われ[3]、翌年6月20日に正式開港した。その2年後の1913年には航空学校がオープンした。
1914年に第一次世界大戦が始まり、空港は空軍が使用することになった。この飛行場から初期の航空機であるブレリオ XIやRAF B.E.2が飛び立ち、イギリス海峡での戦いへ向かっていった[6][7]。
第一次大戦後は再び民間に転用され、近隣都市からの利用が増加した。1936年には新しいアールデコ調のターミナルビルが建てられ、ブライトン・ホヴ・アンド・ワージング公立空港として6月13日に開港した。
1937年には航空学校が空軍と提携し、空軍パイロットの養成も行われるようになった。第16初期・予備役航空訓練学校と呼ばれたこの学校では、デ・ハビランド DH.82 タイガー・モスを使用して訓練が行われた。
1939年に第二次世界大戦が始まると航空学校は移転され、再び軍用機の拠点として用いられるようになった[8]。ライサンダーやボーファイターなどの戦闘機がこの飛行場から発着し、沿岸のパトロールなどを行なった。ハリケーンはこの飛行場から夜間戦闘へ向かっていった。1942年にはデファイアント、43年にはスピットファイアが導入され、同時に対空射撃の訓練も行われるようになった。1944年のノルマンディー上陸作戦では、この飛行場を飛び立った第345飛行中隊が地上部隊を掩護した[8]。一方で、飛行場に対する枢軸国軍の爆撃が複数回行われた[8]。
戦後は再び民間の手に渡り、運営がなされた。航空機開発も行われ、1961年8月にはビーグル・エアクラフト社が開発した新型機ビーグル B.206 バセットがこの空港で初飛行をした。また1984年にはターミナル・ビルが第二*級イギリス指定建造物に指定されている。
2006年、累積する債務によって経営状態が悪化し、地元当局から民間企業へ150年の租借契約が結ばれた。この契約は、近隣の民間航空需要を取り込みたいという狙いがあった。また2007年7月には、戦前に建てられた格納庫も第二級指定建造物となった。2014年にはブライトン・シティ空港株式会社が設立され、同社が空港の所有権と運営権を獲得した。一度はショアハム空港への改名も検討されたが結局は撤回され、現名称のままとなった。
施設
編集第2*級イギリス指定建造物に指定されたターミナル・ビルが1つある。ビル内にはレストランや民間航空会社の事務所が設けられており、飛行訓練施設も設置されている。
航空ショー
編集ブライトン・シティ空港では、王立空軍協会が主催するショアハム航空ショーを25年近く開催している。2015年8月には同航空ショーに参加した戦闘機が墜落する事故(ショアハム航空ショー墜落事故)が発生し、11人が死亡、16名が負傷した。
空港へのアクセス
編集ウェスト・コーストウェイ線のショアハム=バイ=シー駅から1マイルの位置にある。また空港のすぐ隣を国道A27号線が通っている。
映画のロケ地として
編集文化財に指定されているターミナル・ビルを持つブライトン・シティ空港は、多くの映画やテレビドラマのロケ地として利用されてきた。
脚注
編集- ^ “Aircraft Movements 2020 - 2010 (in thousands)”. www.caa.co.uk. 2021年9月3日閲覧。
- ^ “SHOREHAM”. openAIP. 2021年9月3日閲覧。
- ^ a b Bloom, Nick. "Sunny Shoreham", Pilot, February 2012, p70
- ^ “New plan 'safeguards future of Shoreham Airport'”. worthingherald.co.uk. 2 May 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月26日閲覧。
- ^ “Heritage Gateway – Results”. www.heritagegateway.org.uk. 13 August 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。24 April 2018閲覧。
- ^ Royal Flying Corps WW1 Blériot XI reconnaissance monoplane | “Archived Document”. 21 February 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。21 February 2015閲覧。
- ^ Bloom, Nick. "Sunny Shoreham", Pilot, February 2012, p71
- ^ a b c Brooks 1996, pp. 123–130
- ^ “Poirot Locations – Lord Edgware Dies”. tvlocations.net. 3 March 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月16日閲覧。
- ^ Eirik. “Investigating Agatha Christie's Poirot: Episode-by-episode: Lord Edgware Dies”. investigatingpoirot.blogspot.com.es. 18 October 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月23日閲覧。
- ^ “"Agatha Christie's Poirot" Lord Edgware Dies (TV Episode 2000) – IMDb”. IMDb (11 June 2000). 9 December 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月20日閲覧。
出典
編集- Brooks, Robin J. (1996). Sussex Airfields in the Second World War. Newbury, Berkshire, England: Countryside Books. ISBN 1-85306-259-6
関連項目
編集外部リンク
編集- flybrighton.com - 公式サイト