ブヤン・セチェン・ハーン
ブヤン・セチェン・ハーン(モンゴル語:Буян сэцэн хаан、英語:Buyan Sechen Khan、1555年 - 1603年)は、モンゴル帝国の第39代(北元としては第25代)皇帝(ハーン)であり、チャハル・トゥメンの当主である。トゥメン・ジャサクト・ハーンの長男。
ブヤン | |
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モンゴル帝国第39代皇帝(ハーン) | |
在位 | 1593年 - 1603年 |
別号 | セチェン・ハーン |
全名 | ブヤン・セチェン・ハーン |
出生 |
1555年 |
死去 |
1603年 |
子女 | マングス太子、ラブカル太子、モー・キタト太子 |
家名 | ボルジギン氏 |
父親 | トゥメン・ジャサクト・ハーン |
生涯
編集1555年、トゥメン・ジャサクト・ハーンの長男として生まれる。
1592年、父のトゥメン・ジャサクト・ハーンが崩御したため、ブヤン太子は翌年(1593年)39歳で帝位につき、セチェン・ハーンとしてあらゆる方向に有名になって、仏法と政道をもってすべての大国人を安楽にさせた。
1603年、ブヤン・セチェン・ハーンは49歳で崩御した。長男のマングス太子はすでに亡くなっていたため、その長男のリンダン・バートル太子が14歳で帝位についた。
子
編集- マングス太子…リンダン・ハーンの父
- ラブカル太子
- モー・キタト太子
脚注
編集参考資料
編集- 岡田英弘訳注『蒙古源流』(刀水書房、2004年、ISBN 4887082436)