フレデリック・カペル
フレデリック・カペル(Frederick Kappel、1902年 - 1994年)は、アメリカ合衆国の実業家[1]。1961年から1972年にかけてAT&Tの会長を務めた[1]。ジョンソン政権とニクソン政権において、公職も務めた[1]。
フレデリック・カペル Frederick Kappel | |
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生誕 | 1902年 |
死没 |
1994年11月 アメリカ合衆国 フロリダ州サラソータ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | AT&T会長 |
経歴
編集生い立ち
編集職歴
編集1924年にアメリカ電話電信会社(AT&T)に入社したカペルは、傘下の会社のひとつだったミネソタ州のノースウェスタン・ベル電話会社 (the Northwestern Bell Telephone Company in Minnesota) で電柱の穴を掘る週給25ドルの仕事が初職であった[1]。1954年、彼はAT&T傘下の別会社ウェスタン・エレクトリックの社長となった[1] 。1956年、AT&Tの社長となった[1]。後には1961年から1972年にかけて会長を務めた[1]。1963年から1964年にかけては、ザ・ビジネス・カウンシルの会長も務めた[2]。
大統領リンドン・B・ジョンソンはカペルを、郵便組織委員会 (Commission on Postal Organization) をはじめとして様々な大統領の諮問委員会の委員長に起用し、1967年には鉄道紛争仲裁のための特別委員会の委員にも任命した。次いで大統領となったリチャード・ニクソンは、カペルをアメリカ合衆国郵便公社の経営責任者に任命し、1972年から1974年にはその会長とした[1]。カペルは、1964年5月29日号の『タイム』の表紙を飾った[3]。1964年には大統領自由勲章、1965年にはジョン・フリッツ・メダルを受章した。
カペルは、チェイス・マンハッタン銀行やゼネラルフーヅでも役員を務めた[1]。1969年から1971年にかけてはインターナショナル・ペーパーの会長を務め、1971年から1972年にかけては経営執行委員会の委員長であった[1]。
私生活
編集カペルは、最初の結婚を1927年に、2回目の結婚を1978年にした[1]。最期は、1994年11月にフロリダ州サラソータでアルツハイマー病のために死去した[1]。
著作
編集- Business Purpose and Performance: Selections from Talks and Papers (1964)
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m Kenneth N. Gilpin, Frederick Kappel, 92, Ex-Chief Of AT&T and Former U.S. Aide, The New York Times], November 12, 1994
- ^ The Business Council, Official website, Background Archived 2016-03-03 at the Wayback Machine.
- ^ Time Magazine