フランツ・ヒルゲンドルフ
フランツ・ヒルゲンドルフ(Franz Martin Hilgendorf、1839年12月5日 - 1904年7月5日)は、ドイツの動物学者、古生物学者である。1860年代に行われたドイツ南部のシュタインハイム・クレーターから出土した巻貝化石群の研究は進化の証拠としてチャールズ・ダーウィンの『種の起源』に引用された[1]。
略歴
編集ノイダム(現在のポーランドのDębno)に生まれた。地元の学校を出た後、ベルリンの高校で学び、1859年からベルリン大学で文献学を学び始めるが、4期後、テュービンゲン大学に移った。1862年の夏、古生物学者、フリードリッヒ・アウグスト・クヴェンシュテットのシュタインハイム・クレーターでの発掘調査に参加した。1863年にこの調査に関する論文で博士号を得た。ベルリン自然史博物館で化石の研究をした後、1868年にハンブルク動物園の水族館の館長となり、1870年から1871年の間はドイツの科学アカデミーレオポルディーナの司書として働いた。1873年から、来日し、東京医学校(東京大学医学部の前身)予科で動植物学、鉱物学などの講義を行った。1876年まで滞日し、日本の動物相についての論文も書いた。日本の標本をドイツに持ち帰り、帰国後はベルリンのフンボルト博物館で働いた。はじめ、軟体動物部門で働き、1896年からは魚類部門で働いた。1903年に胃病で退職し、1904年に没した[2]。
ミューラー(Gustav Wilhelm Müller)によって、ウミホタル(Cypridina hilgendorfii後にVargula hilgendorfii)に献名され[2]、魚類のユメカサゴ(Helicolenus hilgendorfii)にも献名された。
脚注
編集- ^ 『「地学史」のおもしろさ』、矢島道子。地学雑誌114(4)
- ^ a b Yajima, M. (2007). “Franz Hilgendorf (1839–1904): introducer of evolutionary theory to Japan around 1873”. Geological Society, Special Publications 287: 389–393. doi:10.1144/SP287.28 .
関連項目
編集外部リンク
編集- Alles über das Steinheimer Becken und einiges zu den Arbeiten Franz Hilgendorf`s (Everything on the Steinheim crater and a little bit on the work of Franz Hilgendorf)
- Website der Deutschen Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens
- 140 Jahre Hilgendorfs Steinheimer Schnecken-Stammbaum: der älteste fossile Stammbaum aus heutiger Sicht (140 years of Hilgendorfs genealogical tree of Steinheimer Snails: the oldest genealogical tree of fossils seen from today)