司法省 (フランス)
司法省(しほうしょう、フランス語: Ministère de la Justice)は、フランスの省のひとつ。司法制度の運用の監督を担当する。
司法省 Ministère de la Justice | |
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司法省が所在するブールヴァレ館 | |
役職 | |
大臣 | エリック・デュポン=モレッティ |
概要 | |
所在地 |
パリ1区ヴァンドーム広場13番地 ブールヴァレ館 北緯48度52分05秒 東経2度19分40秒 / 北緯48.86806度 東経2.32778度座標: 北緯48度52分05秒 東経2度19分40秒 / 北緯48.86806度 東経2.32778度 |
定員 | 8万9882人(2021年度) |
年間予算 | 107億4144万ユーロ[1](2022年度) |
設置 | 497年頃(国璽尚書として) |
改称 |
750年頃(大法官府に改称) 1551年(国璽尚書府に改称) 1790年(司法省に改称) |
ウェブサイト | |
Ministère de la Justice |
概要
編集第2次および第3次フィヨン内閣の下、2009年6月23日からは司法・自由省(Ministère de la Justice et des Libertés)と称されていたが、第1次エロー内閣成立後、2012年5月16日からは司法省(Ministère de la Justice)という名称に復されている。
司法省はパリ1区のヴァンドーム広場に建つブールヴァレ館に所在する。その所在地から、la Place Vendôme(ヴァンドーム広場)は司法省の代名詞となっている。
司法省の中央行政機関は、アンシャン・レジーム期の宰相に相当する大法官(chancelier)の役所に因み、chancellerie(大法官府)とも呼ばれる。また、司法省の長たる司法大臣は、アンシャン・レジーム期から受け継がれた「国璽尚書(Garde des Sceaux)」という特別な職名を帯び、国璽を管理している[2][3]。
任務
編集司法省の任務は以下の通りである[4]。
組織
編集- 事務総局(Secrétariat général)
- 司法機関総局(Direction des services judiciaires)
- 民事・印璽局(Direction des affaires civiles et du Sceau)
- 刑事・恩赦局(Direction des affaires criminelles et des grâces)
- 刑務所管理総局(Direction de l'administration pénitentiaire)
- 青少年司法保護総局(Direction de la protection judiciaire de la jeunesse)
国璽尚書兼司法大臣はまた、司法機関監督官(inspecteur général des services judiciaires)の補佐を受ける。
大臣
編集司法大臣は国璽尚書を兼ねている。司法大臣は中央行政機関に加えて、官房および報道官をその権限の下に置いている[6]。
歴代司法大臣
編集第五共和政
編集
所属政党: 新共和国連合→共和国民主連合→共和国連合→国民運動連合 進歩・現代民主主義→フランス民主連合 社会民主中道派 左翼急進党 社会党 民主運動 |
代 | 氏名 | 内閣 | 就任日 | 退任日 | 所属政党 | 備考 | ||
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1 | エドモン・ミシュレ Edmond Michelet |
ドブレ内閣 | 1959年1月8日 | 1961年8月24日 | 新共和国連合 | |||
2 | ベルナール・シュノ Bernard Chenot |
1961年8月24日 | 1962年4月14日 | 新共和国連合 | ||||
3 | ジャン・フォワイエ Jean Foyer |
第1次ポンピドゥー内閣 | 1962年4月15日 | 1962年11月28日 | 新共和国連合 | |||
第2次ポンピドゥー内閣 | 1962年12月6日 | 1966年1月8日 | ||||||
第3次ポンピドゥー内閣 | 1966年1月8日 | 1967年4月1日 | ||||||
4 | ルイ・ジョックス Louis Joxe |
第4次ポンピドゥー内閣 | 1967年4月7日 | 1968年5月31日 | 新共和国連合 | |||
5 | ルネ・カピタン René Capitant |
1968年5月31日 | 1968年7月10日 | 新共和国連合 | ||||
クーヴ・ド・ミュルヴィル内閣 | 1968年7月12日 | 1969年4月28日 | ||||||
6 | ジャン=マルセル・ジャンヌネ Jean-Marcel Jeanneney |
1969年4月28日 | 1969年6月20日 | 新共和国連合 | ||||
7 | ルネ・プレヴァン René Pleven |
シャバン=デルマス内閣 | 1969年6月22日 | 1972年7月5日 | 進歩・現代民主主義 | |||
第1次メスメル内閣 | 1972年7月6日 | 1973年3月15日 | ||||||
8 | ジャン・テタンジェ Jean Taittinger |
第2次メスメル内閣 | 1973年4月5日 | 1974年2月27日 | 共和国民主連合 | |||
第3次メスメル内閣 | 1974年3月1日 | 1974年5月27日 | ||||||
9 | ジャン・ルカニュエ Jean Lecanuet |
第1次シラク内閣 | 1974年5月28日 | 1976年8月25日 | 社会民主中道派 | |||
10 | オリヴィエ・ギシャール Olivier Guichard |
第1次バール内閣 | 1976年8月27日 | 1977年3月29日 | 共和国連合 | |||
11 | アラン・ペルフィット Alain Peyrefitte |
第2次バール内閣 | 1977年3月30日 | 1978年3月31日 | 共和国連合 | |||
第3次バール内閣 | 1978年4月5日 | 1981年5月13日 | ||||||
12 | モーリス・フォール Maurice Faure |
第1次モーロワ内閣 | 1981年5月22日 | 1981年6月22日 | 左翼急進党 | |||
13 | ロベール・バダンテール Robert Badinter |
第2次モーロワ内閣 | 1981年6月23日 | 1983年3月22日 | 社会党 | フランスにおける死刑を廃止する法律を成立させた | ||
第3次モーロワ内閣 | 1983年3月22日 | 1984年7月17日 | ||||||
ファビウス内閣 | 1984年7月19日 | 1986年2月19日 | ||||||
14 | ミシェル・クレポー Michel Crépeau |
1986年2月19日 | 1986年3月20日 | 左翼急進党 | ||||
15 | アルバン・シャランドン Albin Chalandon |
第2次シラク内閣 | 1986年3月20日 | 1988年5月10日 | 共和国連合 | |||
16 | ピエール・アルパヤンジュ Pierre Arpaillange |
第1次ロカール内閣 | 1988年5月12日 | 1988年6月22日 | 社会党 | |||
第2次ロカール内閣 | 1988年6月28日 | 1990年10月2日 | ||||||
17 | アンリ・ナレ Henri Nallet |
1990年10月2日 | 1991年5月15日 | 社会党 | ||||
クレッソン内閣 | 1991年5月16日 | 1992年4月2日 | ||||||
18 | ミシェル・ヴォゼール Michel Vauzelle |
ベレゴヴォワ内閣 | 1992年4月2日 | 1993年3月29日 | 社会党 | |||
19 | ピエール・メエニュリー Pierre Méhaignerie |
バラデュール内閣 | 1993年3月30日 | 1995年5月11日 | フランス民主連合 | |||
20 | ジャック・トゥーボン Jacques Toubon |
第1次ジュペ内閣 | 1995年5月18日 | 1995年11月7日 | 共和国連合 | |||
第2次ジュペ内閣 | 1995年11月7日 | 1997年6月2日 | ||||||
21 | エリザベート・ギグー Élisabeth Guigou |
ジョスパン内閣 | 1997年6月4日 | 2000年10月18日 | 社会党 | 女性として初の司法大臣 | ||
22 | マリリーズ・ルブランシュ Marylise Lebranchu |
2000年10月18日 | 2002年5月6日 | 社会党 | 女性として2人目の司法大臣 | |||
23 | ドミニク・ペルベン Dominique Perben |
第1次ラファラン内閣 | 2002年5月7日 | 2002年6月17日 | 国民運動連合 | |||
第2次ラファラン内閣 | 2002年6月17日 | 2004年3月30日 | ||||||
第3次ラファラン内閣 | 2004年3月31日 | 2005年5月31日 | ||||||
24 | パスカル・クレマン Pascal Clément |
ド・ヴィルパン内閣 | 2005年6月2日 | 2007年5月15日 | 国民運動連合 | |||
25 | ラシダ・ダティ Rachida Dati |
第1次フィヨン内閣 | 2007年5月18日 | 2007年6月18日 | 国民運動連合 | 女性として3人目、 非ヨーロッパ系移民二世として初の司法大臣 | ||
第2次フィヨン内閣 | 2007年6月19日 | 2009年6月23日 | ||||||
26 | ミシェル・アリヨ=マリー Michèle Alliot-Marie |
2009年6月23日 | 2010年11月13日 | 国民運動連合 | 女性として4人目の司法大臣 職名は「司法・自由大臣」 | |||
27 | ミシェル・メルシエ Michel Mercier |
第3次フィヨン内閣 | 2010年11月14日 | 2012年5月10日 | 元民主運動 | 職名は「司法・自由大臣」 | ||
28 | クリスチャーヌ・トビラ Christiane Taubira |
第1次エロー内閣 | 2012年5月16日 | 2012年6月18日 | 左翼急進党 ワルワリ |
女性として5人目、 海外県・海外領土出身者として初の司法大臣 | ||
第2次エロー内閣 | 2012年6月21日 | 2014年3月31日 | ||||||
第1次ヴァルス内閣 | 2014年4月2日 | 2014年8月26日 | ||||||
第2次ヴァルス内閣 | 2014年8月26日 | 2016年1月27日 | ||||||
29 | ジャン=ジャック・ユルヴォアス Jean-Jacques Urvoas |
2016年1月27日 | 2016年12月6日 | 社会党 | ||||
カズヌーヴ内閣 | 2016年12月6日 | 2017年5月10日 | ||||||
30 | フランソワ・バイル François Bayrou |
フィリップ内閣 | 2017年5月18日 | 2017年6月19日 | 民主運動 | |||
31 | ニコル・ベルベ Nicole Belloubet |
2017年6月21日 | 現職 | 社会党 |
職員
編集2021年の司法省の職員数は8万9882人である。
脚注
編集出典
編集- ^ “Les chiffres clés de la Justice”. Ministère de la Justice. 2013年4月29日閲覧。
- ^ エリック・デュポン=モレティ 国璽尚書、司法大臣(駐日フランス大使館)
- ^ 国璽(駐日フランス大使館)
- ^ “Le ministère de la Justice”. Ministère de la Justice. 2013年4月29日閲覧。
- ^ “Décret n° 2008-689 du 9 juillet 2008 relatif à l'organisation du ministère de la justice”. Legifrance. 2013年4月29日閲覧。
- ^ a b “Organigramme de la Chancellerie” (PDF). Ministère de la Justice. 2013年4月29日閲覧。
参考文献
編集- Pascal Durand-Barthez (1973). Histoire des structures du ministère de la Justice (1789-1945). PUF
- Mathieu Delahousse (2009). Justice, le ministère infernal. Flammarion
- “Les Gouvernements de la Ve République”. Assemblée nationale. 2013年5月31日閲覧。