フランシスコ・ルフェテ
フランシスコ・ホアキン・ペレス・ルフェテ(Francisco Joaquín Pérez Rufete, 1976年11月20日 - )は、スペイン・バレンシア州ベネフサル出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはFWまたはMF。元スペイン代表。
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エスパニョールでのルフェテ (2009年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
フランシスコ・ホアキン・ペレス・ルフェテ Francisco Joaquín Pérez Rufete | |||||
ラテン文字 | Francisco Rufete | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1976年11月20日(48歳) | |||||
出身地 | ベネフサル | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW / MF (RWG, RSH) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
アトレティコ・ベネフサル | ||||||
1992-1995 | バルセロナ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995 | バルセロナC | 12 | (3) | |||
1995-1997 | バルセロナB | 45 | (0) | |||
1996 | バルセロナ | 1 | (0) | |||
1997-1998 | トレド | 38 | (5) | |||
1998-1999 | マジョルカ | 0 | (0) | |||
1999 | → マラガ (loan) | 20 | (5) | |||
1999-2001 | マラガ | 65 | (9) | |||
2001-2006 | バレンシア | 132 | (13) | |||
2006-2009 | エスパニョール | 57 | (1) | |||
2009-2011 | エルクレス | 46 | (0) | |||
通算 | 416 | (36) | ||||
代表歴 | ||||||
1992-1993 | スペイン U-16 | 19 | (0) | |||
1994-1995 | スペイン U-18 | 9 | (0) | |||
2000 | スペイン | 3 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2018 | イビサ | |||||
2020 | エスパニョール (暫定) | |||||
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クラブ経歴
編集初期の経歴
編集FCバルセロナの下部組織出身で、1996年5月25日(シーズン最終節)のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦(2-2)でトップチームデビューしたが、トップチームでの出場はこの1試合だけに終わった。1997-98シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)のCDトレドにレンタル移籍し、38試合に出場して5得点と活躍した。1998年夏にプリメーラ・ディビシオン(1部)のRCDマジョルカに完全移籍したが、1998-99シーズン前半戦はまったく試合に出場できず、1999年1月にセグンダ・ディビシオンのマラガCFに移籍した。マラガCFはセグンダ・ディビシオンB(3部)から昇格したばかりであったが、MFホセ・マリア・モビージャやFWカターニャとともにセグンダ・ディビシオン昇格に貢献し、1999-2000シーズンと2000-01シーズンもマラガCFでプレーした。
バレンシアCF
編集2001年夏にプリメーラ・ディビシオンのバレンシアCFに移籍した。2001-02シーズンは絶対的なレギュラーではなかったが、シーズンを通して良好なパフォーマンスで貢献し、リーグ優勝を果たした。2004年3月14日のセルタ・デ・ビーゴ戦(2-0)では1試合2得点し、2003-04シーズンには再びリーグ優勝を果たしたが、2006年夏にキケ・サンチェス・フローレス監督が就任するとルフェテは放出要員となった。
RCDエスパニョール
編集2006年7月にフリートランスファーでRCDエスパニョールに移籍し[1]、FCバルセロナの下部組織で一緒にプレーしたイバン・デ・ラ・ペーニャと再びチームメートになった。2006-07シーズンのUEFAカップでは11試合に出場し、決勝に進出したがセビージャFCに敗れた。2007-08シーズンは負傷で何度も戦線離脱した。
エルクレスCF
編集2009年7月中旬、RCDエスパニョールを放出され、故郷に近いエルクレスCFに2年契約(1年の延長オプション付き)移籍した。すでに32歳になっていたが、2009-10シーズンのセグンダ・ディビシオンでは2000分近い出場時間を記録し、13年ぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格に貢献した。11-12シーズンは、チームと契約が残っていたものの、出場選手登録から外れたため、出場機会を得られなかった。
その後、現役引退。指導者の道へ進んだ。
引退後
編集2013年夏から古巣バレンシアのカンテラの統括部長となり、セビージャBに所属していた指宿洋史の獲得に携わった[2]。同年11月25日にアマデオ・サルボCEOによってトップチームのスポーツディレクターに選任された[3]。12月にはミロスラヴ・ジュキッチを解任してフアン・アントニオ・ピッツィを招聘するなど改革を断行した。
2015年6月にはジョルジュ・メンデスを代理人とするロドリゴ・カイオ獲得を巡って同じくメンデスが代理人であるヌーノ・エスピーリト・サント監督との確執が表面化し、7月1日にサルボと共にSDを退任した[4][5]。
その後、セグンダ・ディビシオンB(スペイン3部)のUDイビサの監督を経てRCDエスパニョールのスポーツディレクターに就任。
2020年6月27日、成績不振によりアベラルド・フェルナンデス監督が解任されると2019-2020シーズン終了までの暫定監督に就任。シーズン終了後からは、同クラブの強化担当をしている。
代表経歴
編集2000年3月29日にバルセロナで行われたイタリアとの親善試合(2-0)で、後半途中にホセバ・エチェベリアと交代出場してスペイン代表デビューした。同年には2試合を加え、スペイン代表としては通算3試合に出場した。
タイトル
編集クラブ
編集- バレンシアCF
- リーガ・エスパニョーラ 優勝: 2001–02, 2003–04
- UEFAカップ 優勝: 2003–04
- UEFAスーパーカップ 優勝: 2004
- RCDエスパニョール
- UEFAカップ準優勝: 2006–07
代表
編集- U-18スペイン代表
- UEFA U-19欧州選手権優勝: 1995
脚注
編集- ^ Rufete ready for Espanyol adventure; UEFA.com, 19 July 2006
- ^ 指宿、バレンシアのBチームに移籍か; goal.com, 2013/07/08 22:55:00
- ^ バレンシア、スポーツ部門GDにルフェテ氏が就任; goal.com, 2013/11/26 1:36:00
- ^ “マデオ・サルボCEOとルフェテSDが辞任へ”. valencia.jpn.org. (2015年7月1日) 2015年12月3日閲覧。
- ^ “バレンシア、サルボ執行役会長が辞任 ルフェテSDもクラブを去る”. Goal.com. (2015年7月2日) 2015年12月3日閲覧。
外部リンク
編集- フランシスコ・ルフェテ - BDFutbolによる個人成績
- フランシスコ・ルフェテ - National-Football-Teams.com
- フランシスコ・ルフェテ – FIFA主催大会成績