フラタニティ・レコード

フラタニティ・レコード(Fraternity Records)は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティに存在した小規模のレコード会社である。同社は1954年、ハリー・カールソン(Harry Carlson)と(配当を受けるが業務に参画しない)匿名社員であるアシュトン・ウェルシュ博士(Dr. Ashton Welsh)により操業を開始した。最初のヒット曲は1956年の、地元の少女キャシー・カー(Cathy Carr)が歌ったティン・パン・アレーの曲『アイボリー・タワー(Ivory Tower)』であった。この曲はオーティス・ウィリアムズ&ザ・チャームズ(Otis Williams & the Charms)のカバーであり、チャートで最高2位まで上昇した。1年後には、ジミー・ドーシー(Jimmy Dorsey)のインストルメンタル『ソー・レア(So Rare)』があり、この著名なバンドリーダー存命中の最後のヒット曲となった。1959年、同社初のナンバー1獲得は、ビル・パーソンズ(Bill Parsons)の『オール・アメリカン・ボーイ(All American Boy)』である。パーソンズはカントリー・シンガーのボビー・ベア(Bobby Bare)の友人であり、このヒット曲を実際に歌っていたのはベアであり、パーソンズはB面の曲を歌っていただけであった。フラタニティはまた、さらに小規模の会社から曲を借りていた。それらの曲にはジャッキー・シャノン(Jackie Shannon、のちにJackie DeShannon)の1トラックを含んでいる。

フラタニティ最大のヒット曲はロニー・マックLonnie Mack)による1963年のギター・インストゥルメンタル『メンフィス(Memphis)』である。同曲はビルボードのポップ・チャートで5位、R&Bチャートで4位まで上昇した。

同社にとって最後の国内トップ40ヒット曲は1967年のザ・カジノズ(The Casinos)の『ゼン・ユー・キャン・テル・ミー・グッドバイ(Then You Can Tell Me Goodbye)』であった。

シャド・オシェア(Shad O'Shea)は1975年に同社をカールソンから買収した。

アプリゲート・レコーディング・ソサエティ(Applegate Recording Society)もまたフラタニティ傘下のレーベルであった。

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