ザ・フォー・ホースメンThe Four Horsemen)は、1985年から1990年代末にかけて、アメリカ合衆国で活動したプロレスのユニットの名称。NWAジム・クロケット・プロモーションズで結成され、その後継団体のWCWでもメンバーを変えて活躍していた。

ザ・フォー・ホースメン
 
概要
メンバー 下記参照
名称
  • ザ・フォー・ホースメン
  • ザ・ホースメン
デビュー 1985年
解散 1999年
団体

リック・フレアーを不動のリーダーとして、親指を除く4本の指を突き立てるポーズをトレードマークに、アメリカのプロレス界において伝説的な名ユニットとして語り継がれている[1]

来歴

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結成時のオリジナルメンバーはリック・フレアーアーン・アンダーソンオレイ・アンダーソンタリー・ブランチャードマネージャーJ・J・ディロン。当初は固有の名称は付けられていなかったが、アーン・アンダーソンがインタビュー中で「俺たちは言わば『黙示録の四騎士The Four Horsemen of Apocalypse)』だ」と発言して、これがユニット名に採用された[1]

ニック・ボックウィンクルをリーダーとしたAWAヒーナン・ファミリーなどの前例と同様に、実力派のヒールたちがユニットを組んだホースメンは絶大な悪役人気を獲得[1]。メンバー全員がチャンピオンとして、フレアーがNWA世界ヘビー級王座を、ブランチャードがNWA・US王座もしくはNWA・TV王座を、オレイ&アーン・アンダーソンのミネソタ・レッキング・クルーNWA世界タッグ王座を常時保持し、ダスティ・ローデスマグナムTAロード・ウォリアーズロックンロール・エクスプレスニキタ・コロフらと抗争を繰り広げた[2]

グループのキャラクター・イメージは、アルマーニのスーツを着こなし、高級車やプライベートジェットを乗り回し、美女を侍らせ豪遊する「大人の男」[3]。「(試合への乱入や抗争相手への襲撃など)やることは汚いが、着ている服は清潔だし、女たちも上玉ばかりだ」などと豪語していた。実際、これはギミックの上だけではなく、当時の彼らの凄まじい豪遊の武勇伝はいくつも残っている[1]

 
ユニットの名付け親であるアーン・アンダーソン(左)とリック・フレアー(1987年)

1987年にオレイ・アンダーソンが一時リングを離れ、レックス・ルガーが加入。翌年にルガーがフレアーとの確執で追放されてベビーフェイスに転向すると、入れ替わりにバリー・ウインダムヒールターンして新加入[3]。驚異的な肉体美を持っていたが不器用かつキャリア不足で試合も荒削りなルガーとは対照的に、業界でも屈指の試合巧者であり、長身でマスクも良くマイクパフォーマンスも達者なウインダムの加入によって、ホースメンはレスリング史の頂点に君臨する "ギャング" となってファンを魅了したとフレアーは述懐している[4]

しかし、1988年11月にテッド・ターナージム・クロケット・プロモーションズを買収してWCWが発足するのと同時期に、ブランチャードとアーン・アンダーソンがWWFに移籍。翌年にはディロンもフロントの管理職としてWWFにヘッドハンティングされ、ホースメンも解散状態となったが、オレイ&アーン・アンダーソンの復帰後はWCWフロントの要望もあって、フレアーを主軸にスティングシッド・ビシャスなどを迎えてユニットは継続された[5]

1991年9月にはフレアーもWWFに移籍したが、1993年2月のWCW復帰に伴い、フレアーとアンダーソンズに新メンバーのポール・ローマを加えてホースメンを再編[5]。その後もWCWはストーリーの展開につまるとホースメンを復活させて、クリス・ベノワブライアン・ピルマンジェフ・ジャレットカート・ヘニングディーン・マレンコなど数々のレスラーがホースメンのメンバーに名を連ねることとなった[5]1998年、ホースメンの存在を批判していたエリック・ビショフとフレアーが対立してフレアーのWCW離脱騒動が取り沙汰されるが、アーン・アンダーソンの仲介によって再びフレアーを迎え入れて復活するという出来事もあった[6]

ベノワ(ワイルド・ペガサス)とマレンコは新日本プロレス限定で獣神サンダー・ライガーブラック・タイガーエディ・ゲレロ)と共に、ジュニア・フォー・ホースメンとして一時期活動していた。

2003年WWEでは初期ホースメンをオマージュしたエヴォリューションというユニットが、ホースメンのリーダー格であったフレアーを参謀に迎えて結成された[7]

2010年TNAではフォーチュンFortune)というユニットが結成され、WWEのエボリューションと同じくフレアーが参謀として迎えられた[8]。フォーチュンはメンバーを4人に固定せずに拡大していき、大型ユニットとして活動していた[8]

2012年、フレアー、アーン・アンダーソン、ブランチャード、ウインダムの4人がマネージャーのディロンと共にフォー・ホースメンとしてWWE殿堂に迎えられた[3]

メンバー

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関連人物

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参考文献

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  • リック・フレアー、キース・エリオット・グリーンバーグ『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』エンターブレイン、2004年。ISBN 4757721536 

脚注

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  1. ^ a b c d 『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P215-221
  2. ^ Four Horsemen”. Online World of Wrestling (2012年4月8日). 2023年11月25日閲覧。
  3. ^ a b c The Four Horsemen: Bio”. WWE.com. 2023年11月25日閲覧。
  4. ^ 『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P234-236
  5. ^ a b c The History of the IV Horsemen”. Online World of Wrestling. 2023年11月25日閲覧。
  6. ^ 『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P409
  7. ^ Evolution”. Online World of Wrestling (2012年4月8日). 2023年11月25日閲覧。
  8. ^ a b Wrestling / Fortune”. TV Tropes (2010年6月17日). 2023年11月25日閲覧。
  9. ^ Yamasaki Corporation”. Cagematch.net. 2023年12月3日閲覧。

外部リンク

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