ナショナル・トレーニング・センター

ナショナル・トレーニング・センター(英:National Training Center, NTC)は、対抗方式の実戦的な訓練環境を提供するアメリカ陸軍の訓練支援部隊である。センターの対抗部隊は、第11装甲騎兵連隊(通称:ブラックホース)が担任する。センターは、陸軍の最上位のトレーニング・センターとしての地位にある。センターの統裁本部は、コンピュータ化された中央指揮所であり、大規模戦闘の記録、分析を行い、その結果を訓練参加者に通知する機能を有する。全軍種、政府機関及び外国軍部隊がセンターで訓練を行うことができる。センターは、カリフォルニア州サンバーナーディーノ郡北部のモハーヴェ砂漠に位置するフォート・アーウィンに所在する。フォート・アーウィンは、カリコ山脈内にあり、平均標高は748mである。また同駐屯地から最も近い都市は、バーストウ市で距離は60kmである。

ナショナル・トレーニング・センター
サンバーナーディーノ郡 (カリフォルニア州)
NTC 肩章
フォート・アーウィンの航空写真地図
種類トレーニング・センター
施設情報
所有者アメリカ陸軍
管理者アメリカ陸軍総軍
現況使用中
歴史
使用期間1980–現在
駐屯情報
使用者第11装甲騎兵連隊(ブラックホース)
ナショナル・トレーニング・センターの看板。
建物を掃討するために前進する兵士たち。大規模な戦車戦を行えることで有名なNTCは、2005年9月現在、市街戦の訓練も行うことが出来る。
カリフォルニアの砂漠を巡察する第3歩兵師団の斥候
センターを訪れた部隊は、正門の近くにある大きな岩のオブジェの一つに部隊章を描くことが伝統となっている。

歴史

編集

1979年8月9日、陸軍省は、フォート・アーウィンにナショナル・トレーニング・センターを設置することを発表した。フォート・アーウィンが選ばれた理由は、部隊の機動と射撃に十分な2,600 km2以上の面積があり、電波干渉がなく、軍隊専用の管制空域があり、人口密集地域から離隔していたからである。1980年10月16日、ナショナル・トレーニング・センターは正式に活動を開始した。1981年春、センターと第1騎兵師団(テキサス州フォート・フッド)は、M.I.L.E.S(レーザー交戦装置)の試験を行った。1981年7月1日、フォート・アーウィンの管理は、カリフォルニア陸軍州兵からアメリカ陸軍に移管した。1984年、対抗部隊は、カリフォルニア州フォート・オードの第7歩兵師団から歩兵部隊と機甲部隊が増強された。1985年6月、M1エイブラムス戦車が最初に使用され、1985年秋にはM2ブラッドリー戦闘車が使用された。1984年11月、初の装甲騎兵大隊の運営が行われた。1985年3月、第101空挺師団の部隊が初の軽部隊運営に参加した。1985年6月、第197歩兵旅団は初の旅団作戦拡張運営に参加した。1990年2月、初の軽/機械化歩兵連隊運営が行われた。それは、フォート・オードの第7歩兵師団(軽)とジョージア州フォート・スチュワートの第24歩兵師団(機械化)が参加するものであった。1993年12月、初の市街戦訓練がパイオニア訓練施設で行われた。1980年代及び1990年代、ナショナル・トレーニング・センターは、世界中の外国軍の指導者たちに米陸軍の大規模な戦術を展示した。2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件以来、ナショナル・トレーニング・センターは、アフリカ、中東、西アジアの砂漠環境における急速で変化の激しい戦場での対反乱作戦に焦点を当てるようになった。

対抗部隊(OPFOR)

編集

1980年にナショナル・トレーニング・センターが再編されたとき、カリフォルニア州フォート・オッドの第7歩兵師団第31歩兵連隊第6大隊「ポーラー・ベア」と第73機甲連隊第1大隊から対抗部隊を編成した。1985年にアメリカ陸軍が連隊編成に戻った際、第177機甲旅団(SEP)が対抗部隊に指定された。対抗部隊の兵士は、ソ連式の装甲服、黒いベレー帽、識別章を着用し、BMP-1歩兵戦闘車及びT-72戦車を模したM551シェリダンを使用した。米海兵隊、陸軍予備役及び陸軍州兵の部隊が、対抗部隊の歩兵役を務めることもあった。対抗部隊は、全米の正規部隊及び予備役部隊の機甲旅団を相手に、1年間で15コの運営を行っている。

訓練の内容

編集

ナショナル・トレーニング・センターの訓練は、社会、倫理、道徳的な葛藤を含む複雑なシナリオを組み込んでいる。その狙いは、多面的な問題に直面させることによって指揮官の能力を向上させることにある。今日のナショナル・トレーニング・センターにおける訓練のシナリオは、複雑なハイブリッド脅威を含むものである。訓練部隊は、対反乱作戦を行いつつ、同等の能力を有する対抗部隊と戦わなければならない。同時に、可能な限りあらゆる方法で自治体(住民)を保護しなければならない。訓練は、仮想及び実際の無人航空機 (UAS)、レーザー交戦装置(MILES)を使用し、統合部隊、多国籍軍、省庁間連携、メディアの取材といった要素が組み込まれる。

観察審判訓練官(OC/T)は、小隊レベルの部隊に同行する。幾つかの村にはテレビカメラを含む計測装置が設置され、OC/Tチームの支援と、訓練部隊のフィードバックに使われる。

 
メディナ・ワスルのパノラマ

本施設には、12の模擬の村があり、市街戦の訓練が行われている。模擬の村は、実在する村を模倣しており、宗教施設、ホテル、ロータリー交差点等の様々な建物が存在する。さらに、そこには外国語を話す政府職員、地元警察、軍閥、村民、物売り、テロリストが配置される。最大の村はRazish村とウジェン村であり、駐屯地から30分の距離にある。建物のほとんどは海上コンテナで作られており、それを積み重ねて大規模な構造物を構成している。最大の村には585棟の建物があり、完全編成の旅団戦闘団が戦闘を行うことができる。

気候

編集

ケッペンの気候区分によれば、フォート・アーウィンは寒冷砂漠気候である。 [1]

バイサイクル湖の気候データ AAF Elev:2,350ー1982,1986,1991-1998,2006,2010-2014 以下の二つの条件を考慮)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高記録(°C) 25 30 33 36 42 45 45 46 41 39 30 23 46
平均最高気温(°C) 14 17 21 24 28 35 38 37 34 26 18 14 26
平均最低(°C) 6 6 9 12 15 21 24 24 22 15 9 6 14
最低記録(°C) -7 -8 -1 2 6 8 8 8 7 -1 -14 -8 -14
ソース:AFCCC(極値1982,1986,1991-1998,2006,2010-2014)

関連項目

編集

脚注

編集

外部リンク

編集

座標: 北緯35度14分47秒 西経116度40分55秒 / 北緯35.24639度 西経116.68194度 / 35.24639; -116.68194