フェルディナント・ゲオルク・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト=コハーリ

フェルディナント・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト=コハーリドイツ語: Ferdinand von Sachsen-Coburg-Saalfeld-Koháry, 1785年3月28日 - 1851年8月27日)は、ザクセン=コーブルク=ゴータ公子。ハンガリー語名はサース=コブルグ=ゴタイ・フェルディナーンドSzász-Coburg-Gothai Ferdinánd)。

フェルディナント
Ferdinand
コーブルク=コハーリ家

全名
出生 (1785-03-28) 1785年3月28日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公国、コーブルク
死去 (1851-08-27) 1851年8月27日(66歳没)
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン
埋葬 ザクセン=コーブルク=ゴータ公国コーブルク、グロッケンブルク墓地
配偶者 マリア・アントーニエ・フォン・コハーリ
子女
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 フランツ
母親 アウグステ
宗教 キリスト教カトリック教会
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生涯

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ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公フランツと妃アウグステ・ロイス・ツー・エーベルスドルフの三男として生まれる。ザクセン=コーブルク=ゴータエルンスト1世は兄、ベルギー国王レオポルド1世は弟にあたる。

1815年11月30日、ウィーンで資産家だったハンガリーマグナート(貴族)コハーリ家英語版の女子相続人マーリア・アントーニアと結婚。間に3男1女が生まれた。

1826年、義父のコハーリ侯フェレンツ・ヨージェフが死去すると、コハーリの家名を継いでザクセン=コーブルク=ザールフェルト=コハーリと名乗った。宗家のザクセン=コーブルク=ゴータ家は元来ルター派の信徒であったが、コハーリ家を継いだこの一族はカトリック信徒であることから、フランスやポルトガルなどカトリック王侯との通婚が盛んとなった。