フェルッチョ・ジャンニーニ

フェルッチョ・A・ジャンニーニ(Ferruccio A. Giannini、1868年11月15日 - 1948年9月17日)はイタリア出身のアメリカの歌手(テノール)で、録音最初期に数々のオペラの録音を行い、オペラ録音の先駆者と言われる。

生涯

編集

出生、音楽を学ぶ

編集

1868年、イタリアのバルガ生まれ。ジャンニーニの若い頃については詳しく研究されていないため不明である。17歳のときにアメリカに移住し、ボストンではエレオドロ・デ・カンピ(Eleodoro De Campi)に歌唱を学ぶ。1891年ボストンで正式デビューを果たす。

デビュー後

編集

ヴァイオリニストのアントニエッタ・ブリジリア(Antonietta Brigilia)と出会う1892年頃までストラコッシュ・オペラ・カンパニー(Strakosch Opera Company)で演奏していた[1] 。アントニエッタとは後に結婚している。1893年フィラデルフィアに移住し、同地に小規模の劇場を創設した。そこで若い学生らとオペラ・コンサートをする企画も実施した。その後、ジャンニーニは同じくフィラデルフィアにヴェルディ・オペラ・ハウス(Verdi Opera House)を建設している(1905年)。彼はまた、1890年代後半にイタリア王立海兵隊 (Royal Marine Band of Italy、当初の名称はバンダ・ロッサ) を設立[1]。 1896年から1913年まで、彼はベルリーナ・グラモフォンビクターコロンビア、レックス(en:Rex Records (1912))等の様々なレコード会社でレコードを残した[2]

彼は1948年、フィラデルフィアで亡くなった。

家族

編集

前から交流をしていたアントニエッタ・ブリジリアと結婚し、3人の子が生まれた。父の職を受け継いで、いずれの子もオペラの面で功績を残した。

録音

編集
 
ジャンニーニの全名が刻まれたレコード (F. A. Giannini)

1896年、ジャンニーニはエミール・ベルリナーから、ベルリーナ・グラモフォンのレコードの為にオペラを録音するよう言われた。そこで彼は、リゴレットの『女心の歌』の一部を最初に録音した。数か月後、彼は戻って1896年3月から1898年11月までかなりの数を録音し、1899年には3回の録音吹き込みに参加し、計83回以上の録音を遺している。彼の作品の一部は、オンラインで閲覧できる。

また、1903年6月から1904年10月までビクターおよびコロムビアの会社で録音を担当し、1908年から 1913年まではレックスも務めた。さらに、19年頃にはエジソン社用レコードも発見された。

主なディスコグラフィー

編集
  • Berliner 967 - La Donna è Mobile
    Berliner 902a - Siciliana
    Berliner 905a - M'appari
    Berliner 1740 (?) - Quando le sere al placido
    Berliner 967 - "La Donna è Mobile" ("Rigoletto")
  • Berliner 902a - "Siciliana" ("Cavalleria Rusticana")
  • Berliner 903 - "Di Quella Pira" ("Il Trovatore")
  • Berliner 932 - "Viva il Vino" ("Cavalleria Rusticana")
  • Berliner 905a - "M'appari" ("Martha")
  • Berliner 902/971 - "The Palms"
  • Berliner 983 - "Questa o quella" ("Rigoletto")
  • Berliner 985 - "Funiculi Funicula" (sic)
  • -Berliner 1740 (likely unreleased master) - "Quando le sere al placido" ("Luisa Miller")
  • +Berliner 0572 -"Miserere" (Il Trovatore")
  • -Victor 2404 - "Funiculi Funicula"
  • -Victor 2506 - "Violets"
  • Columbia 1738 - "Miserere" ("Il Trovatore")
  • Rex F 5088 - "E lucevan le stelle" ("Tosca")

最近

編集
Berliner 0572 - Miserere

ジャンニーニは生前、他の歌手と比べあまり活躍せず、1929年に破産のため劇場を閉鎖せざるを得なくなった。学生を使った企画やその他特別なイベント以外では、大々的なオペラコンサートをあまり開催しなかったことが原因とされる。20世紀後半にはほとんど忘れ去られ、しかも音質が非常に悪いため長らく無視されてきた。しかし、最近は彼のいくつかのレコードが発見され、再評価の動きが高まりつつある。

出典

編集
  1. ^ a b Ferruccio Giannini”. www.historicaltenors.net. 2024年3月9日閲覧。
  2. ^ Ferruccio Giannini”. Discography of American Historical Recordings. 2024年3月9日閲覧。

外部リンク

編集