フェリーせっつは、阪九フェリーが運航していたフェリー

フェリーせっつ
六甲アイランドフェリーターミナルに接岸する「フェリーせっつ」
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本(1995-2015)
大韓民国の旗 韓国(2015-2021)
所有者 阪九フェリー(1995-2015)
韓一高速(2015-2021)
運用者 阪九フェリー(1995-2015)
韓一高速(2015-2021)
建造所 神田造船所川尻工場
姉妹船 フェリーすおう
信号符字 JJ3912
IMO番号 9117351
MMSI番号 440337650
改名 フェリーせっつ(1995-2015)
HANIL GOLDSTELLA(2015-2021)
経歴
起工 1995年
進水 1995年7月28日[1]
竣工 1995年12月
就航 1995年12月21日
運航終了 2015年3月
最後 解体
要目
総トン数 15,188 トン
全長 189.0 m
27.0 m[1]
深さ 9.7 m[1]
喫水 6.7 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 2基
推進器 可変ピッチプロペラ 2軸2舵[1]
出力 32,400馬力[1]
最大速力 25.5ノット[1]
航海速力 23.0ノット[1]
旅客定員 810名[1]
乗組員 59名
車両搭載数 トラック219台、乗用車77台[1]
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概要

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第二十四阪九の代船として神田造船所川尻工場で建造され、1995年12月に就航した。 2008年6月、神戸航路から泉大津航路に転配された。 2015年3月、いずみの就航により引退した。

その後、海外売船され、韓国で韓一高速(Hanil Express)のHANIL GOLDSTELLAとして、麗水 - 済州航路に就航した。

船は2021年にHANIL GOLDSTELLAとしてバングラデシュ Chittagong Ship Breaking Yard(英語版)にて解体された。

設計

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建造時は、瀬戸内海航路に就航するフェリーとして最大最高速であった。振動低減のため、主機と発電機の支持架にはラバーマウントが採用された[1]阪神淡路大震災から約1年後の就航であり、就航時から2008年に泉大津航路に転配されるまで、船体側面には「We Love KOBE」のロゴが描かれていた。

船内

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船室

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船室タイプの一覧
クラス 部屋数 定員 設備
特等 2名×4室 8名 ツインベッド、バス・トイレ、冷蔵庫、テレビ付
1等洋室 2-3名×10室 20名 ツインベッド、テレビ付
1等洋室 4名×26室 104名 2段ベッド、テレビ付
1等和室 2-4名×22室 42名 カーペット敷、テレビ付
2等指定A 1名×20室 20名 シングルルーム、テレビ付
2等指定B 8名×11室 88名 洋室、2段ベッド
2等室 20室 412名 カーペット敷
ドライバールーム 1名×116室 116名 シングルタイプ、バス・トイレ付

設備

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5階
  • 特等洋室
  • 特等サロン
4階
  • 1等室
  • 2等指定室
  • 展望浴室
  • シャワールーム
3階
  • 2等室
  • ドライバーズルーム
  • インフォメーション
  • 売店
  • レストラン
  • グリル(後にレストランに併合)
  • ゲームコーナー
  • カラオケルーム
  • ペットルーム
  • ドライバーサロン
  • ドライバー浴室

事故・インシデント

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漁船との衝突

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2005年1月28日、21時05分ごろ、新門司港から神戸港に向かっていた本船は、伊予灘を航行中、姫島灯台の東方8.8海里の地点で、前方を横切ろうとしていた漁船枝盛丸と衝突した。衝突により、本船は右舷船尾部の外板に擦過傷を生じ、枝盛丸は船首部の外板に亀裂を生じ、舷縁材が脱落した。事故原因は、本船が動静監視不十分で、枝盛丸を避けなかったことで発生したが、枝盛丸が動静監視不十分で、本船に対して警告信号を行わず、衝突回避の協力動作をとらなかったことも一因とされた[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 世界の艦船(1995年10月号,p166)
  2. ^ 広島地方海難審判庁 (16 March 2006). 平成17年広審第86号 旅客船フェリーせっつ漁船枝盛丸衝突事件 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年3月12日閲覧

外部リンク

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