フェザント島
フェザント島(フェザントとう、フランス語: Île des Faisans、スペイン語: Isla de los Faisanes、バスク語: Konpantzia)は、フランスとスペインの国境を流れるビダソア川下流にある島(中州)。1659年にこの島で結ばれたピレネー条約によって、フランスとスペインの双方の主権の下にある共同統治領になっている。
フェザント島 Île des Faisans(フランス語) Isla de los Faisanes(スペイン語) Konpantzia(バスク語) | |
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ビダソア川に浮かぶフェザント島 | |
所在地 |
フランス ピレネー=アトランティック県 スペイン ギプスコア県 (共同統治領) |
所在海域 | ビダソア川 |
座標 | 北緯43度20分34秒 西経1度45分56秒 / 北緯43.34278度 西経1.76556度座標: 北緯43度20分34秒 西経1度45分56秒 / 北緯43.34278度 西経1.76556度 |
面積 | 0.00682 km² |
最高標高 | 6 m |
プロジェクト 地形 |
名称
編集- フランス語: Île des Faisans(フェザン島)
- スペイン語: Isla de los Faisanes(ファイサネス島)
- バスク語: Konpantzia(コンパンツィア)
- 英語: Pheasant Island(フェザント島)
フランス語・スペイン語では「キジの島」の名で呼ばれる。英語での表現も同様である。
地理
編集面積は 6,820 m²あり、人工護岸が整備されている。
歴史
編集フランス・スペイン国境にあり、この島ではしばしば両国の会合が行われた。
1615年、スペインとフランスの王室の間で2組の婚儀が行われた。フランス王ルイ13世とスペイン王女アナ(アンヌ・ドートリッシュ)、スペイン王フェリペ4世(アナの弟)とフランス王女エリザベート(イサベル・デ・ボルボン、ルイ13世の妹)である。2人の王女はこの島で、それぞれ夫の国に引き渡された。
1659年には、三十年戦争を終結するためのピレネー条約の締結が行われた。これに先立ち、スペイン側のルイス・デ・アーロ (Luis Méndez de Haro) と、フランス側の宰相ジュール・マザランの間で24の会議が行われている。島の中央には条約締結を記念した記念碑が立てられている。またこのとき、フランス王ルイ14世(ルイ13世とアンヌの子)はスペイン王女マリア・テレサ(マリー・テレーズ・ドートリッシュ、フェリペ4世とイサベルの子)が婚約しており、この島で対面を行っている。この2人はのちに結婚し、「グラン・ドーファン」ルイが生まれている。
1679年、スペイン王カルロス2世(フェリペ4世と継妃マリアナの子)は、フランス王族のマリー・ルイーズ・ドルレアンとこの島で結婚している。
1721年には、フランス王ルイ15世(グラン・ドーファンの子)は、婚約者であるスペイン王女マリアナ・ビクトリアとこの島で対面している。マリアナ・ビクトリアはフランスで養育されたが、のちに婚約は破棄されている。
行政
編集イルン(スペイン・ギプスコア県)とアンダイエ(フランス・ピレネー=アトランティック県)が6か月交替で行政を行っている。この島を訪れることは許可されていない。
関連項目
編集外部リンク
編集- ヨーロッパ気まま倶楽部 - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)
- (D)フェザン島(コンパンジア島) - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)
- 世界飛び地領土研究会>共同統治領>コンパンジア島 - ウェイバックマシン(2003年10月13日アーカイブ分)