フィル・トンプソン
フィル・トンプソン(Phil Thompson, 本名:Philip Bernard Thompson, 1954年1月21日 - )は、イギリス・リバプール出身の元イングランド代表サッカー選手。
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名前 | ||||||
本名 |
フィリップ・バーナード・トンプソン Philip Bernard Thompson | |||||
ラテン文字 | Phil Thompson | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | 1954年1月21日(70歳) | |||||
出身地 | リバプール | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1971-1984 | リヴァプールFC | 340 | (7) | |||
1984-1986 | シェフィールド・ユナイテッド | 37 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1976-1982 | イングランド | 42 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
2001-2002 | リヴァプールFC(監督代理) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集1971年にリヴァプールFCとプロ契約を交わした。リヴァプールでは、通算477試合に出場[1]、キャプテンを務め、約14シーズンに渡りチームの黄金期を支えた[2]。デビュー戦は1972年4月、オールド・トラフォードでのマンチェスター・ユナイテッド戦[1]、このシーズンは14試合に出場した[1]。1973年にはチームのリーグ優勝とUEFAカップ優勝に貢献した。1976-77シーズンには、チーム初のチャンピオンズカップ優勝を果たしたが、トンプソン自身は怪我に苦しむシーズンとなった。
1979年にはエムリン・ヒューズの退団によりチームのキャプテンに就任[3]、この年リーグ最少失点記録となる16失点に貢献した[1]。1981年のチャンピオンズカップ優勝など、チームをまとめあげた。その後マーク・ローレンソンが加入すると出場機会を減らし[1]、シェフィールド・ユナイテッドに移籍し、短期間所属したが31歳の若さで引退し、ケニー・ダルグリッシュの下でリヴァプールのアシスタントコーチを務めた[2]。
1976年にはイングランド代表デビュー、レギュラーとして、UEFA欧州選手権1980ではグループリーグの全3試合[4]、1982 FIFAワールドカップでは全5試合に出場するなど[4]、トータル42試合に出場した。
引退後はリヴァプールのアシスタントコーチを務めた他、2001年から2002年にかけては半年程、暫定監督になった。現在はイングランドのスポーツ番組Sky Sportsに解説者として出演している。
獲得タイトル
編集選手
編集- リーグ:7回 (1972-73, 1975-76, 1976-77, 1978-79, 1979-80, 1981-82, 1982-83)
- FAカップ:1回 (1973-74)
- リーグカップ:3回 (1980-81, 1981-82 1982-83)
- コミュニティーシールド:6回 (1974, 1976, 1977, 1979, 1980, 1982)
- UEFAチャンピオンズカップ:3回 (1976-77, 1977-78, 1980-81)
- UEFAカップ:2回 (1972-73, 1975-76)
- UEFAスーパーカップ:1回 (1977)
指導者
編集- プレミアリーグ月間最優秀監督:2回(2001年11月、2002年3月) ※ 2002年3月の受賞は、ジェラール・ウリエとの同時受賞。
脚注
編集- ^ a b c d e “phil-thompson”. www.goal.com. 21 April 2020閲覧。
- ^ a b “phil-thompson”. www.lfchistory. 21 April 2020閲覧。
- ^ トヨタカップ 1981年 大会公式パンフレット p.14-15
- ^ a b “phil-thompson Nationa team”. www.lfchistory. 21 April 2020閲覧。